オーバースローやスリークォーターなどのオーソドックスな投球フォームがある一方で、自身の生き残りを賭けて独特な投球フォームで勝負をかける選手がいます。
そんな投球フォームの中から、「ザトペック投法」という投球フォームについて解説して参ります。
ザトペック投法とは?
2代目ミスタータイガースと呼ばれ、通算222勝を挙げた元阪神タイガースの村山実投手が使用した投球フォームです。
動画をご覧になって気付いた方もいると思いますが、村山の投球フォーム自体はオーソドックスな投球フォームであるオーバースローです。
それではなぜ、ザトペック投法と呼ばれるようになったのでしょうか。
村山のことを一言で表すと「炎の闘将」。
村山は、一球一球に闘志をむき出しにして全身を使った投げ方する投手でした。
そんな闘志むき出しの投球フォームが、ヘルシンキオリンピック(1952年フィンランドのヘルシンキで開催)のマラソン競技で優勝したエミール・ザトペック選手(チェコスロバキア・当時)の姿に似ていることから名前が付けられました。
ザトペックの走り方は、常に顔をしかめ喘ぎながら走るスタイルで「人間機関車」と呼ばれるほど闘志むき出しのランナーでした。
現在、阪神タイガースで永久欠番になっているのは3人。
藤村富美男の「10」、吉田義男の「23」、そして村山実の「11」。
このザトペック投法で、永久欠番に指定された村山の成績を振り返ります。
村山投手の通算成績・受賞記録など
勝利 | 敗戦 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 | WHIP | |
村山実 | 222 | 147 | 2271 | 709 | 2.09 | 0.95 |
- 最多勝2回(1965年、1966年)
- 最優秀防御率3回(1959年、1962年、1970年)
- 最多奪三振2回(1965年、1966年)
- 最多勝率1回(1970年)
- 沢村栄治賞3回(1959年、1965年、1966年)
- 最高殊勲選手(MVP)1回
- ベストナイン3回(1962年、1965年、1966年)
- 野球殿堂入り
特筆すべきは、WHIP。
WHIPとは「投球回あたりの与四球と被安打数の合計」で、この数値が1.00未満なら球界を代表するエースとされています。
村山の数値は通算0.95(1シーズン最高は0.75)。
沢村栄治賞を3度も受賞し永久欠番に指定されるなど、球界を代表する大エースであったことがこの数値からも読み取れます。
ザトペック投法と言われるのが村山1人だけの理由
先にも触れたように、ザトペック投法とは特徴的な形で投げる投球フォームではなく、闘志をむき出しにして全身を使って投げる投法です。
1シーズンに38勝4敗という驚異的な成績を残し、伝説の大投手として有名な杉浦忠(元南海ホークス)は、ザトペック投法について、「上半身の使い方が強引で、ある意味邪道」と否定しています。
また、杉浦が近鉄バファローズの一軍投手コーチをしていた頃、太田幸司投手が村山を参考にしてフォーム改造に取り組もうとした際にも、「形だけ真似しても故障するだけだ」と諭して止めさせたというエピソードが残っています。
つまり、すべての投球において全力で、闘志むき出しのザトペック投法は、村山の野球に対する情熱と村山だけにマッチした投法であり、真似することは故障に繋がる投げ方であることを物語っています。
まとめ
- 名前の由来は、マラソン選手のエリック・ザトペックの走る姿から名付けられた
- 真似をすることは怪我に繋がる可能性の高い投法
村山と同じように、闘志をむき出しにして特に読売ジャイアンツに対しての熱い思いが伝わってくる投手には星野仙一(元中日ドラゴンズ)が思い出されます。
星野は高校卒業後に明治大学に進学していますが、大阪なら尊敬する村山の母校である関西大学と決めていました。
星野の投球フォーム自体は村山とは別の選手を研究してのものですが、闘志をむき出しにした姿は星野の勝負に対する情熱と村山の影響を受けていたのかも知れません。
しかし、そんな星野の投げ方をザトペック投法と呼ばないのは、それだけ当時の村山の投げる姿が凄まじいものであったからなのでしょう。