茨城の高校野球は戦前からの歴史を誇る学校が野球界に大きな功績を残してきました。
華やかな時代の東京六大学野球で厳しい指導で名選手を育てた監督を複数輩出しており、そうした影響は以降の茨城球界にも受け継がれているようです。
指導者の力量が実績や選手育成に大きくつながる高校野球において茨城では監督にも注目してみましょう。
- 木内イズムの継承 常総学院高校
- 水戸っ子の意地 水戸商業高校
- 日立から甲子園へ 明秀日立高校
- 新興私学の出世モデル 江戸川学園取手高校
- やんちゃ軍団の奇跡 取手第二高校
⇒【高校野球】どこが強い県??甲子園で活躍している都道府県の特徴と実績などを紹介!
常総学院高校
野球部の強化は、取手二高を全国制覇に導いた地元の名将・木内監督を招いたところから急速に成果を上げました。
1987年の夏甲子園でエース・島田直也、1年生の仁志敏久を擁して初出場で春夏制覇のPL学園を相手に準優勝という結果を残すと常連校に定着して、2001年センバツと2003年の夏に全国制覇を成し遂げました。
試合後に茨城弁を交えた木内監督の素直なインタビューの受け答えは高校野球ファンも楽しみにしていました。
その後、勇退された後は教え子が指導者として強豪チームを受け継いでいます。
水戸商業高校
戦前から茨城県の野球をけん引してきた伝統校です。
西鉄ライオンズの黄金時代を築いて、野球解説者としても活躍した豊田泰光氏やテレビで人気のデーブこと大久保博元、阪神でエースとして優勝に貢献した井川慶投手など個性派の選手を生み出しています。
また立教大学で長嶋茂雄氏を指導した砂押監督、早稲田大学を長く指導した石井藤吉郎監督などの名指導者も出身であり野球界に多大な影響を与えています。
甲子園では1999年センバツの準優勝で復活の兆しを見せましたが今後も甲子園に登場することが期待されます。
明秀日立高校
かつては女子校でしたが、共学化されて2010年代頃から野球部が頭角を現してきました。
率いるのは青森・光星学院を強豪校に育てた金沢監督であり、地元関西からの選手も含めて徹底的な練習によって鍛え上げています。鮮やかなブルーのユニフォームは茨城の高校野球に新風を吹き込んだ印象です。
また土浦や水戸エリアの高校が上位を占めるなかで、県北の日立から甲子園出場を果たしているため今後も地元の期待は高まっていくしょう。
江戸川学園取手高校
県内では私立の進学校として認知されている高校です。
そのためスポーツのイメージはほとんどない世代の人が多いでしょうが、1978年に開校すると3年目に夏の甲子園初出場を果たしました。その後は同様の強化策を取る全国の私学が増えていますが当時はかなり衝撃的でした。
また県外からの選手が中心となるチーム構成も先を行った手法です。
以降は知名度をベースにして進学校への転換をはかっているため野球部は県内でも上位進出の機会は少ないです。
平成時代に各地で私学校がとった学校運営のモデルとなった1つといえるでしょう。
取手第二高校
後に常総学院を全国的な強豪校に育てた木内監督の名を上げたのは、県立校「取手二」での育成能力と全国制覇の実績でした。
西武で活躍した松沼兄弟を指導するなど育成能力も高い評判でしたが、甲子園では何といっても1984年の夏決勝でKKコンビが揃うPL学園を相手に自由奔放な野球で勝利しての優勝は衝撃的でした。
大会終了後に敗れたPLの桑田投手は楽しみながら優勝したチームの秘訣を知りたくて、取手二高のナインを訪ねたという逸話もあります。
⇒高校野球の強豪校まとめ!都道府県ごとに学校の特徴などを紹介!
茨城県の強豪校まとめ!
茨城の高校野球は常総学院をはじめとして、公立校にも木内監督の教え子が率いるチームが上位に進出する結果を残しており、その影響力の大きさを実感します。
また公私立を含めて異動する指導者によって各校の勢力図は短いスパンで転換しています。
県大会では決勝戦を含めて土の球場を多く使用することもあって、思わぬ試合展開が潜んでいるファン垂涎の地区です。
- 木内イズムの継承 常総学院高校
- 水戸っ子の意地 水戸商業高校
- 日立から甲子園へ 明秀日立高校
- 新興私学の出世モデル 江戸川学園取手高校
- やんちゃ軍団の奇跡 取手第二高校