スーパーカートリオとは、現在の横浜DeNAベイスターズの前身である横浜大洋ホエールズで1985年シーズンに3人合計で148盗塁という驚異的な成績を残した高木豊・加藤博一・屋敷要の呼称。
打順においても1番・高木、2番・加藤、3番・屋敷と1~3番で並んでトリオを組んでいたことからこの名前が付けられました。
当時の監督である近藤貞雄は、「スポーツカートリオ」と言っていましたが、語呂の悪さと当時子供たちに人気のあったスーパーカーブームの影響もあり、「スーパーカートリオ」と呼ばれるようになりました。
なお、呼称については、長嶋茂雄が単に言い間違えたものが定着したとも言われています。
スーパーカートリオの誕生
本拠地の横浜スタジアムは、当時、リーグで一番広い球場で、フェンスも高くホームランが出づらい球場と言われていました。
広い球場ではとにかく出塁率と足の速い選手を1・2番に置き、長打力のあるクリーンアップで得点するというのが普通の考え方でしたが、当時、監督だった近藤は、1~3番まで俊足の選手を置くことを決断します。
近藤監督は春季キャンプ時に3人をそれぞれ監督室に呼び、
「50個アウトになってもいいから、100個走れ!」
と、選手にとって走りやすい環境を作った上で、自身で考えた「足で勝つ野球」を実践していきます。
スーパーカートリオの誕生です。
スーパーカートリオの成績
1985年にスーパーカートリオを結成した3人の盗塁の合計は148個。
内訳は、1番の高木が42個、2番の加藤が48個、3番の屋敷が58個。
1チームでトリオとして40盗塁を達成したのは、プロ野球史上でこの1度しかない驚異的な成績なのです。
ランボルギーニ・高木豊
1980年のドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。
1983年には、現在のゴールデングラブ賞の前身であるダイヤモンドグラブ賞を二塁手部門で獲得。
通算で321盗塁を達成していますが、失敗も多く、盗塁成功率は.643。これは300盗塁以上を達成した選手の中でワーストの記録となっています。
成績 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 盗塁 | 盗塁死 |
1985年 | .318 | 155 | 11 | 42 | 20 |
通算 | .297 | 1716 | 88 | 321 | 178 |
- 盗塁王:1回(1984年)
- ベストナイン:3回(遊撃手部門・1985年、二塁手部門1990年、1991年)
- ダイヤモンドグラブ賞:1回(二塁手部門:1983年)
- オールスターMVP:1回(1985年)
ポルシェ・加藤博一
1969年のドラフト外で西鉄ライオンズに入団。
入団当初はオフシーズンになると靴の配送や飲食店・鮮魚店などでアルバイトをしながら生計を立てていた苦労人。
成績 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 盗塁 | 盗塁死 |
1985年 | .280 | 122 | 4 | 48 | 18 |
通算 | .271 | 628 | 23 | 169 | 67 |
- ウエスタン・リーグ首位打者:1回(1974年)
- ウエスタン・リーグ盗塁王:2回(1976年、1977年)
フェラーリ・屋敷要
1977年のドラフト6位で大洋ホエールズに入団。
1986年から1988年まで3年連続で盗塁王を獲得。
盗塁のスペシャリストは、スーパーカートリオを結成した当時を振り返り「豊さんはヒットを打つのがうまいから1番なのはわかる。加藤さんは小技も出来るから2番でいいとして、僕が3番を打つのは無理だと思った」と語っていました。
成績 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 盗塁 | 盗塁死 |
1985年 | .304 | 135 | 15 | 58 | 13 |
通算 | .269 | 1146 | 58 | 327 | 106 |
- 盗塁王:3回(1986年~1988年)
- ゴールデングラブ賞:5回(1984年~1988年)
- ジュニアオールスターゲームMVP:1回(1978年)
1985年にスーパーカートリオの中でも1番の盗塁数を誇ったのが屋敷でしたが、その年の盗塁王は、73個の盗塁を決めた広島東洋カープの高橋義彦が獲得しています。
スーパーカートリオまとめ!
- 横浜スタジアムで「足で勝つ」野球を実戦した近藤貞雄が生みの親
- 「スポーツカートリオ」が「スーパーカートリオ」に改名
- 1チーム3人が1シーズンに40盗塁を達成したのは、プロ野球史上この一度だけ
1985年に結成されたスーパーカートリオでしたが、2番の加藤が規定打席に到達したのはこの1年だけとなり、翌年のトリオでの盗塁数は94個と減少。
高木豊・加藤博一・屋敷要の3人で結成したスーパーカートリオがシーズンを通して活躍したのは1985年の1シーズンだけでしたが、現在でも語り継がれる強烈なインパクトを残しました。