山梨県の高校野球は歴史として全国での上位進出は他県より遅いスタートでした。
1県1代表になる前は代表決定戦の壁がありました。
その後は他県の指導者、選手によっても進化しています。地区としては関東に所属するため、春と秋は関東大会に出場校を送り出して秋はセンバツの切符をかけて名だたる強豪と競います。
その意味でも関東地区のダークホース的存在の山梨にはひと癖もあるチームが揃います。
- 駅伝だけじゃない 山梨学院高校
- 質実剛健の公立 甲府工業高校
- タテジマはここにも 東海大甲府高校
- 山梨の本校復活へ 日本航空高校
- 「ミラクル市川」 市川高校
⇒【高校野球】どこが強い県??甲子園で活躍している都道府県の特徴と実績などを紹介!
山梨学院高校
箱根駅伝で有名な山梨学院大学の付属高校であり、陸上はもちろんサッカー部も強豪です。
野球部は90年代あたりから名門・調布シニアの指導者を招いて、同チームの出身選手を中心に躍進しました。
他運動部と同様に他県から実力ある選手が揃ったうえに、その後は長崎・清峰をセンバツ優勝に導いた吉田監督が山梨学院大出身という縁で就任して県内では抜けた存在となりました。
甲府工業高校
公立校で山梨を代表する存在のチームです。
プロ野球出身の田名網英二監督の指導で60年代から甲子園に顔を出し、当時の選手であった原初也監督が80年代に厚い壁であった東海大甲府を破りました。
エースでは中込投手(阪神)が活躍していました。
監督自身が他県の選手を受け入れている打倒私学という熱いポリシーを持って選手を指導していました。それを慕って集まる選手も多くいました。
私学にやや押され気味ですが公立の雄として期待したいものです。
東海大甲府高校
チームが強豪として名を馳せたのは主に80年代です。
東海大相模出身で原貢監督の教え子である大八木監督が就任するとそれまで主流だった精神論を脱してデータ野球を実践して県内では無敵の存在となりました。
毎年のように甲子園に出場して、最高はベスト4が春夏で3回の実績です。
他校から徹底マークされ、監督退任後はやや低迷しましたがやはり東海大相模で原辰徳と同期のエース・村中監督が就任して盛り返しを見せています。
県内ではタテジマのユニフォームが驚異の存在として定着しています。
日本航空高校
航空従事者の育成を目的として開校された私立高校です。
後に設置される石川校がスポーツでは有名になりましたが、山梨がそれより古くからの歴史を刻んでいます。
野球部は90年代から強化が進み、高校事態の特長からも県外から選手を受け入れる体制がありました。
プロ入り後は新人王を獲得した八木智哉投手も甲子園では3回戦まで進出した実績を残しました。
その後は石川の方が全国舞台に立つようになりましたが、山梨の本家も再びその土を踏めるように取り組んでいるようです。
市川高校
山梨県の高校球界でもそれほど印象がなかったところ、1991年の甲子園で大躍進しました。
地元の選手を集めた普通のチームでしたが、甲子園初出場のセンバツで逆転劇を次々と演じてベスト4に進出すると、夏も初の代表権を勝ち取りました。
その活躍ぶりは「ミラクル市川」として一躍全国区の知名度となります。
以降は当時の活躍を知る後輩が数回の甲子園切符をつかみましたが、今後は学校自体も統合される予定とのことです。
⇒高校野球の強豪校まとめ!都道府県ごとに学校の特徴などを紹介!
山梨県の強豪校まとめ!
関東の地区においては、出場校数が限られるエリアのためか他県から選手が集まる私学が優勢を誇っています。
それは関東大会だけでなく、地理的な特長を活かして神奈川など首都圏の強豪校とも練習試合を重ねている
成果でもあります。しかしチーム数が限られているだけに各校が対策を練って試合に臨んでおり、展開次第では新たな学校にもチャンスが訪れる興味深い地区なのです。
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- タテジマはここにも 東海大甲府高校
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