今回の記事では、
「危険球とはどういうものか?」
「危険球と判断される基準は何か?」
について解説をしていきます。
危険球とは?その基準は?
危険球とは、死球の中でも打者の選手生命に影響を与える恐れのある投球のことを言い、審判員が危険球と判断した場合、その投手は即退場を宣告されます。
日本野球機構では、「投手の投球が打者の顔面、頭部、ヘルメット等に当たり、審判員がその投球を危険球と判断したとき、その投手は退場となる」と規定しています。
日本のプロ野球においては危険球による死者は出ていないものの、規定には「ヘルメット等」と書いてあるように、顔面や頭部付近でなかった場合でも、その投球が選手生命に影響を与えると審判員が判断した場合には危険球となります。
なお、頭部などに当たった死球であっても、ボールの勢いが弱く選手生命に影響がないと審判員が判断したときには危険球は適用されません。
危険球の歴史
1982年に審判員によって規定が制定された危険球ですが、これはあくまで審判員の中でのルールのようなもので、後に危険球制度を確立するに至るきっかけとなる試合がありました。
1994年のヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツです。
この動画の死球以外にもこの試合では死球合戦が繰り広げられていました。
2回表、ヤクルトの投手であった西村は読売の村田に対し側頭部への死球を与え、倒れ込んだ村田は一度は立ち上がり西村に向かっていく姿勢を見せるものの途中で倒れ負傷退場。
そして3回裏、今度は読売の投手であった木田が打者として打席に立った西村の左腰に死球を与えます。審判はこの投球に対しては、故意ではなくすっぽ抜けで、当たった場所も腰だったため危険球とはしていませんでした。
そして7回表、動画にあるように西村はグラッデンの胸元へ内角球を投じた結果、グラッデンは激昂し、ヤクルトの捕手であった中西の顔面を殴り打撲を負わせ、自身も左手小指と右手親指を骨折しています。
事態を重く見たセントラル・リーグは、「故意・過失を問わず頭部に死球を与えた投手は退場」というアグリーメント(合意・協定)を新規に設けました。
しかし、パシフィック・リーグでは、審判はこれまで以上に厳しいルールの運用をするという見解にとどめていました。
セントラル・リーグとパシフィック・リーグ共通の現行ルールになったのは2002年です。
危険球の記憶と記録
- 桑田真澄(元:読売ジャイアンツ) 1995年・1999年・2005年
- 山口俊(トロント・ブルージェイズ) 2012年・2014年・2015年
- 内海哲也(埼玉西武ライオンズ) 2006年・2007年・2014年
- 浅尾拓也(元:中日ドラゴンズ) 2008年
桑田・山口・内海の3人はいずれも読売ジャイアンツに所属していたという共通点があり、浅尾に至っては、3度の危険球すべてが2008年の記録です。
- 高井雄平(東京ヤクルトスワローズ) 2006年
- 岩瀬仁紀(元:中日ドラゴンズ) 2009年
- 有銘兼久(元:東北楽天ゴールデンイーグルス) 2009年
- 甲藤啓介(元:福岡ソフトバンクホークス) 2010年
- 松井光介(元:東京ヤクルトスワローズ) 2011年
- 山崎康晃(横浜DeNAベイスターズ) 2015年
- ラファエル・ドリス(阪神タイガース) 2018年
このように記録として残るもの以外にも、記憶に残る危険球もあります。
2006年に渡辺俊介(元:千葉ロッテマリーンズ)は、東北楽天戦で6回までノーヒットノーランを続けていたものの、7回の先頭打者である鉄平の頭部へ死球を与え危険球退場となりました。
被安打0で勝利投手となり、試合後にはヒーローインタビューも受けています。
危険球まとめ!
- 危険球は選手生命に影響を与えると審判が判断した際に適用される
- 危険球が宣告されたら投手は退場
- 日本のプロ野球においては危険球による死者は出ていない
選手生命を奪う恐れのある危険球。
プロ野球の打者も最初はヘルメットを被っていませんでした。
時が経つにつれ、「ヘルメット着用⇒投手側の耳ガード⇒両耳ガード⇒フェイスガード」と、頭部を守るヘルメットは進化を続けています。
今後も大きな事故が起こらないことを願っています。