ダルビッシュは、イラン人の父親と日本人の母親の間に3人兄弟の長男として生まれました。本名は、ダルビッシュ・セファット・ファリード・有。
高校野球・NPB・日本代表・MLBのすべてで結果を残し続けるダルビッシュ有選手。
ダルビッシュが残してきた経歴を振り返っていきます。
北海道日本ハムファイターズとワールド・ベースボール・クラシック(WBC)
2004年のドラフト会議。
この年のドラフトは明治大学の一場選手の裏金問題から巨人・横浜・阪神の3球団のオーナーが辞任したほか、球界再編に伴い東北楽天ゴールデンイーグルスが初めてドラフトに参加した年でした。
ダルビッシュは、北海道日本ハムファイターズから単独で1位指名を受け入団。
入団後の2005年2月、ダルビッシュは事件を起こしてしまう。
未成年でありながらパチンコ店で喫煙している姿が週刊誌によって報道された結果、高校は無期停学処分。ダルビッシュは停学期間中だったため卒業式に参加できず、同級生より1週間遅れて卒業している。
そんなダルビッシュも1年目の6月15日の広島東洋カープ戦で初登板初先発初勝利を挙げます。その時のヒーローインタビューでファンからの温かい声援を受けたことがダルビッシュのその後の野球人生にとって大きな力になっていたと大リーグへ挑戦する際の記者会見で喫煙の謝罪と合わせて語っています。
2年目に12勝5敗の好成績を残し、3年目の2007年シーズンで初の開幕投手とオールスターへの初出場を果たしました。この年、15勝5敗、防御率1.82という好成績を残したダルビッシュは沢村賞を獲得。また、最多奪三振、ゴールデングラブ賞、ベストナインを受賞したほか、パ・リーグのシーズンMVPにも選ばれました。
2009年シーズンの前に開催された、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にダルビッシュは日本代表として選出されます。
第1回大会で優勝を果たしている日本が連覇を狙う今大会。
初戦の中国戦で先発したダルビッシュは4回を無安打無失点に抑え勝ち投手となったが、次に先発した韓国戦では敗戦投手となっている。先発では岩隈や松坂の活躍もあり、準決勝と決勝でダルビッシュは抑え投手として出場。決勝の韓国戦では1点リードの9回裏を任されるも同点に追いつかれてしまう。延長10回表にイチローのタイムリーで点差を広げた日本は、10回もダルビッシュが続投し見事無得点に抑え、日本が連覇を果たします。
その後、ダルビッシュは2011年まで5年連続で開幕投手を務めたほか、日本でプレーをした7年間に、沢村賞1回、最優秀選手2回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回、最優秀投手1回など、数々の賞やタイトルを受賞しました。
大リーグ テキサス・レンジャーズ、ロサンゼルス・ドジャース、シカゴ・カブス
2011年のシーズンオフ。
ダルビッシュはポスティングシステムを行使して大リーグへの挑戦を表明。トロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・ヤンキースなどが入札に参加し、テキサス・レンジャーズが史上最高額となる5170万3411ドルで交渉権を獲得、6年契約で合意した。
2012年4月9日のシアトル・マリナーズ戦でメジャー初先発を果たすと、5回2/3で5失点の内容だったが打線の援護もあり初勝利を挙げる。同24日にはニューヨーク・ヤンキース戦で黒田博樹と投げ合い、8回1/3を無失点に抑え勝ち投手となっている。
メジャー1年目のシーズンを16勝9敗で終えたダルビッシュは、2年目以降も着実に成績を残していたが、2015年のスプリングトレーニング中に右肘内側側副靱帯の損傷が判明。トミー・ジョン手術を受けている。
レンジャーズ6年目(2015年は登板なし)の2017年シーズンの途中でドジャースとの交換トレードによって移籍することになる。
2017年シーズンの後半をドジャースの一員として戦ったダルビッシュは、4勝3敗(レンジャーズとの2球団合算では10勝12敗)の成績を残し、ポストシーズンでも先発。アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦では5回1失点、シカゴ・カブス戦では6回1/3を1失点に抑え、それぞれ勝利投手となっている。チームはワールドシリーズへ進出しヒューストン・アストロズと対戦。ダルビッシュは第3戦と第7戦に先発するも敗戦投手となってしまった。チームの敗戦後、ダルビッシュはFAとなった。
FAとなったダルビッシュは、2018年2月にシカゴ・カブスと6年契約で合意したもののシーズン途中で右肘を故障し、1勝3敗の成績を残してシーズンを終えている。2019年シーズンは、前半戦こそ本拠地でもブーイングを浴びる試合もあったが、後半戦は輝きを取り戻し6勝8敗で終えている。
国内(北海道日本ハムファイターズ)での成績
防御率 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 奪三振 |
1.99 | 93 | 38 | 0 | 1250 |
メジャー(レンジャーズ、ドジャース、カブス)での成績
防御率 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 奪三振 |
3.49 | 57 | 45 | 0 | 1070 |
日本ハムファイターズ入団後に未成年での喫煙が発覚して謹慎を受けていたダルビッシュが、国内だけでなくメジャーでも活躍し続けている。来期も活躍が期待されるダルビッシュの高校時代を振り返って行きます。
東北高校時代のダルビッシュ有
ダルビッシュは大阪府羽曳野市の出身。
佐々木主浩や斉藤隆といったメジャーリーガーを輩出した宮城県の名門・東北高校に入学。
中学時代に40を超える高校から声がかかっていたダルビッシュですが、入学当初から肘の成長痛を抱えていました。
当時の東北高校監督である若生正弘は、ダルビッシュに対して自主性を重視した指導に徹していたこともあり、後にキャプテンとなるまでの間、ダルビッシュは全体練習にもほとんど参加せず、練習試合の土日は昼間まで布団にもぐって寝ているという日々を過ごしていました。
一見ただの怠け者、才能をいじるのが監督として怖かったのではないかと捉えられてしまいそうですが、入学当初からの成長痛やもともと体が弱かったダルビッシュを一番に理解した名将の人心掌握術が成せる技でした。
ダルビッシュも「明らかに体が弱かった自分をすごく理解して守ってくれた。だから自分は今ここにいる。感謝しています。」と、2019年4月に勇退を発表した若生監督についてのインタビューで思い出とともに語っています。自身のこの経験があるからこそ、ツイッター投稿などで選手の健康を第一とするコメントを行っているのかも知れません。
そんなダルビッシュは、2年春夏と3年春夏の計4回の甲子園出場を果たしている。
2年春は3回戦敗退。第85回全国高校野球選手権大会では、1回戦の筑陽学園戦こそ2回2失点の成績だったが、2回戦の近江戦で10安打されるも1失点完投、3回戦の平安戦では息詰まる投手戦の中、延長11回を投げ切り2安打完封、準々決勝の光星学院戦では先発こそ真壁賢守が担うも3回1/3を無失点に抑え、東北高校としては44年ぶりの準決勝へ駒を進める。準決勝の江の川戦での登板はなかったがチームは快勝し決勝へ進出。
東北勢初の優勝を目指した決勝の相手は常総学院。
当時の東北高校はダルビッシュや真壁の投手力だけでなく、全国屈指の打撃力を誇っていたため、東北の人たちは真紅の優勝旗が初めて白河の関を超えると期待を寄せていました。
2点を先制した東北高校でしたが、足のけがを押して先発したダルビッシュは4回以降徐々に打ち込まれ、結果は2-4の惜敗。東北勢初の優勝を目指したが、あと一歩で敗れました。
3年の春、第76回選抜高校野球大会。
1回戦の熊本工戦で先発したダルビッシュはノーヒットノーランを達成。奪三振12、与四死球2の完璧な投球で初戦を突破。2回戦では平田良介擁する大阪桐蔭戦で6回1失点の好投を見せ勝利。続く準々決勝の済美戦は肩の痛みもありダルビッシュは登板を回避したが、チームは6-2の4点差で迎えた9回裏にまさかの大逆転劇を許しサヨナラ負けを喫してしまう。
3年最後の夏の大会、第86回全国高等学校野球選手権大会。
1回戦の北大津戦では8安打完封、2回戦の遊学館戦でも3安打完封の好投で無失点のまま3回戦進出を決める。そして迎えた千葉経大付戦。
1点リードの9回表、2死3塁となりあとアウト1つでゲームセットの場面から三塁手のエラーで同点に追いつかれ延長10回で力尽きたが、最後の打者は奇しくもダルビッシュだった。
⇒ 【松井裕樹】甲子園での成績、エピソードを紹介!奪三振記録がスゴイ!
【ダルビッシュ有】甲子園での成績
第75回選抜高校野球大会
スコア | 対戦校 | 成績 | 勝敗 | |
2回戦 | 2-1 | 浜名 | 完投 | 勝利 |
3回戦 | 9-10 | 花咲徳栄 | 6回9失点 | 敗退 |
第85回全国高等学校野球選手権大会
スコア | 対戦校 | 成績 | 勝敗 | |
1回戦 | 11-6 | 筑陽学園 | 2回2失点 | 勝利 |
2回戦 | 3-1 | 近江 | 完投 | 勝利 |
3回戦 | 1-0 | 平安 | 延長10回完封 | 勝利 |
準々決勝 | 2-1 | 光星学院 | 3回1/3 無失点 | 勝利 |
準決勝 | 6-1 | 江の川 | 登板なし | 勝利 |
決勝 | 4-2 | 常総学院 | 9回4失点 | 準優勝 |
第76回選抜高校野球大会
スコア | 対戦校 | 成績 | 勝敗 | |
1回戦 | 2-0 | 熊本工 | ノーヒットノーラン | 勝利 |
2回戦 | 3-2 | 大阪桐蔭 | 6回1失点 | 勝利 |
準々決勝 | 6-7 | 済美 | 登板なし | ベスト8 |
第86回全国高等学校野球選手権大会
スコア | 対戦校 | 成績 | 勝敗 | |
1回戦 | 13-0 | 北大津 | 完封 | 勝利 |
2回戦 | 4-0 | 遊学館 | 完封 | 勝利 |
3回戦 | 1-3 | 千葉経大付 | 9回2/3 3失点 | 敗退 |
ダルビッシュの甲子園での成績
投手成績 | 7勝3敗、完封4、防御率1.47、奪三振87 |
---|
まとめ!
- 東北勢初の優勝まであと一歩
- 喫煙による謹慎から日本のエースへ
- 現代野球への提言は自身の経験から
高校入学当初は体の弱かったダルビッシュ。
ダルビッシュはこれまでの経験をもとに現代野球へ自身の考えを発信しています。
今後もプレイヤーとしての活躍はもちろん、日本野球の改革に向けてのダルビッシュの発言には注目していきたいと思います。
⇒ 【松坂大輔】甲子園での成績、エピソードを紹介!一時代を築いた怪物伝説!