2020年、秋山翔吾、筒香嘉智、山口俊の3人が新たにメジャーリーグに挑戦しました。
このように、日本人選手がメジャーリーグに挑戦するようになったのは、1995年に野茂英雄がメジャーリーグに挑戦し、活躍したことがきっかけとされています。
今回の記事では、野茂のメジャーリーグでの成績や活躍について解説します。
野茂英雄、メジャーでの活躍
1989年のドラフトで近鉄バファローズに入団した野茂は、最多勝と最多奪三振に4回ずつ輝くなど、日本球界を代表する投手として活躍していました。
しかし、1994年のオフシーズンに、近鉄球団や監督との確執が生じ、野茂はメジャーリーグへの移籍を模索するようになります。
最終的に野茂は任意引退という形で近鉄を退団し、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結びました。
その後、野茂は5月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーリーグデビューを果たし、5回無失点と好投します。
6月2日にメジャーリーグ初勝利、6月16日には16奪三振を記録するなど好投を続け、前半戦を防御率1.99という好成績で終えたため、オールスターゲームに選出されました。
野茂は後半戦も好調を維持し、リーグ2位の防御率2.54、1位の236奪三振を記録したため、新人王を受賞しています。
このような活躍により、日米で「NOMOマニア」という言葉が生まれるほど、野茂は人気を誇るようになりました。
野茂は1996年以降も活躍を続け、1996年の9月17日のコロラド・ロッキーズ戦ではノーヒットノーランを達成しています。
1997年の4月25日にはメジャーリーグ通算500奪三振を達成しましたが、わずか444.2投球回での達成であり、これはメジャーリーグ最速記録でした。
しかし、1998年には不振に陥り、シーズン途中にトレードでニューヨーク・メッツに移籍してしまいます。
メッツに移籍した後も成績はあまり向上しなかったため、オフシーズンに自由契約になってしまいました。
その後、野茂はミルウォーキー・ブルワーズと1年契約を結び、12勝を挙げましたが、再びオフシーズンに自由契約となります。
2000年にはデトロイト・タイガースと1年契約を結びましたが、8勝、防御率4.74という成績にとどまりました。
2001年にはボストン・レッドソックスと1年契約を結び、4月4日のボルチモア・オリオールズ戦では、2度目のノーヒットノーランを達成しています。
この年、野茂は13勝を挙げただけでなく、220奪三振を記録し、2度目の最多奪三振に輝きました。
この活躍が認められ、野茂は2年契約でロサンゼルス・ドジャースに復帰します。
すると、2年連続で16勝、防御率3点台を記録するなどと活躍し、2003年の4月20日にはメジャーリーグ通算100勝を達成しました。
野茂は2004年もドジャースに残留しますが、肩の故障に悩まされ、防御率8.25と苦しみます。
オフシーズンには、野茂はタンパベイ・デビルレイズとマイナー契約を結び、6月15日には日米通算200勝を達成しました。
しかし、防御率7.24と不振が続いたため、シーズン途中に解雇されてしまいます。
その後、野茂はニューヨーク・ヤンキースやシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結びますが、メジャーリーグに昇格することはできませんでした。
それでも野茂は現役を続け、2008年にはカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結び、メジャーリーグに昇格します。
4月10日は1000日ぶりとなる登板を果たし、3回2失点という結果を残しました。
しかし、その後は結果を残すことができず、4月20日には戦力外通告を受けてしまいます。
5月には東北楽天ゴールデンイーグルスが野茂と交渉する意思を示しましたが、入団することはなく、野茂は7月17日に現役引退を発表しました。
野茂のプレースタイル
野茂の最大の特徴は、背中を打者に向ける「トルネード投法」です。
野茂は、このフォームから投じるフォーシームとフォークボールを武器としていました。
また、野茂は奪三振が極めて多く、「ドクターK」と呼ばれていました。
メジャーリーグで最多奪三振を2度記録しているだけでなく、200奪三振を4度記録しており、メジャーリーグでの奪三振率(9回あたりの奪三振)は史上29位にあたります(通算1000投球回以上)。
野茂の年度別成績
年度 | チーム | 勝利 | 敗戦 | 先発 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 防御率 |
1990 | 近鉄 | 18 | 8 | 27 | 235.0 | 109 | 287 | 2.91 |
1991 | 近鉄 | 17 | 11 | 29 | 242.1 | 128 | 287 | 3.05 |
1992 | 近鉄 | 18 | 8 | 29 | 216.2 | 117 | 228 | 2.66 |
1993 | 近鉄 | 17 | 12 | 32 | 243.1 | 148 | 276 | 3.70 |
1994 | 近鉄 | 8 | 7 | 17 | 114.0 | 86 | 126 | 3.63 |
1995 | LAD | 13 | 6 | 28 | 191.1 | 78 | 236 | 2.54 |
1996 | LAD | 16 | 11 | 33 | 228.1 | 85 | 234 | 3.19 |
1997 | LAD | 14 | 12 | 33 | 207.1 | 92 | 233 | 4.25 |
1998 | LAD/NYM | 6 | 12 | 28 | 157.1 | 94 | 167 | 4.92 |
1999 | MIL | 12 | 8 | 28 | 176.1 | 78 | 161 | 4.54 |
2000 | DET | 8 | 12 | 31 | 190.0 | 89 | 181 | 4.74 |
2001 | BOS | 13 | 10 | 33 | 198.0 | 96 | 220 | 4.50 |
2002 | LAD | 16 | 6 | 34 | 220.1 | 101 | 193 | 3.39 |
2003 | LAD | 16 | 13 | 33 | 218.1 | 98 | 177 | 3.09 |
2004 | LAD | 4 | 11 | 18 | 84.0 | 42 | 54 | 8.25 |
2005 | TB | 5 | 8 | 19 | 100.2 | 51 | 59 | 7.24 |
2008 | KC | 0 | 0 | 0 | 4.1 | 4 | 3 | 18.69 |
NPB | 5年 | 78 | 46 | 134 | 1051.1 | 588 | 1204 | 3.15 |
MLB | 12年 | 123 | 109 | 318 | 1976.1 | 908 | 1918 | 4.24 |
野茂にまつわるエピソード
① ドジャースのエース
ドジャースでは、今までに様々な国の出身の投手がエースとして活躍してきました。
まず、1980年代には、メキシコ出身のフェルナンド・バレンズエラがエースとして活躍し、1981年にサイ・ヤング賞に輝いています。
また、1994年には韓国出身の初のメジャーリーガーである朴賛浩がデビューし、ドジャースで通算84勝を挙げました。
さらに、近年では日本出身の黒田博樹や前田健太、韓国出身の柳賢振がドジャースで活躍していました。
② ドジャースの新人王ラッシュ
野茂は1995年にナショナルリーグの新人王を受賞していますが、これを含め、ドジャースは1992年から1996年まで、5年連続で新人王を輩出しています。
受賞年 | 選手 | 受賞年の成績 |
1992 | エリック・キャロス | 打率.257、20本塁打、88打点 |
1993 | マイク・ピアッツァ | 打率.318、35本塁打、112打点 |
1994 | ラウル・モンデシー | 打率.306、16本塁打、11盗塁 |
1995 | 野茂英雄 | 13勝6敗、236奪三振、防御率2.54 |
1996 | トッド・ホランズワース | 打率.291、12本塁打、21盗塁 |
このうち、ピアッツァは通算427本塁打を放ち、捕手としてシルバースラッガーを10回受賞したことから、アメリカ野球殿堂入りを果たしています。
また、モンデシーは俊足、強打、好守で知られた外野手であり、1997年には30本塁打、32盗塁、通算で271本塁打、229盗塁を記録しています。
③ ノーヒットノーランの捕手
野茂が2度目のノーヒットノーランをレッドソックスで記録したとき、捕手として出場していたのはジェイソン・バリテックでした。
バリテックは投手の力を引き出すことに長けているとされており、野茂以降も3度ノーヒットノーランの捕手を務めています。
また、バリテックは松坂大輔がレッドソックスでプレーしていた際も、正捕手を務めていました。
まとめ
- 野茂は1995年にドジャースに入団し、通算123勝、1918奪三振を記録するなど活躍した。
- 野茂は1995年に新人王に輝いただけでなく、2度の最多奪三振、2度のノーヒットノーランを達成している。
- 野茂の最大の特徴は、背中を打者に向ける「トルネード投法」であり、奪三振が多かったため「ドクターK」と呼ばれていた。