近年、投手の分業化が進み、先発投手の投球回が減った結果、通算200勝を達成する投手が減りつつあります。
特に、2010年以降に200勝に達成した日本人投手は、1人しかいません。
その投手とは、日本球界だけでなくメジャーリーグでも活躍した、黒田博樹です。
今回の記事では、黒田のメジャーリーグでの成績や活躍について解説します。
黒田博樹、メジャーでの活躍
1996年のドラフトで広島東洋カープに入団した黒田は、2005年に最多勝利、2006年に最優秀防御率を獲得するなど、日本球界を代表する投手として活躍していました。
そんな黒田は、2007年のオフシーズンに、FA権を行使してメジャーリーグに挑戦することを決断します。
その結果、黒田は3年3530万ドルという契約でロサンゼルス・ドジャースに入団しました。
2008年、黒田は開幕から先発ローテーションに定着し、4月4日にはメジャーリーグ初勝利、6月6日にはメジャーリーグ初完封を挙げるなど、好投を続けます。
故障者リストに入ることや、好不調の波が激しくなることもありましたが、最終的に31試合に先発し、リーグ19位となる防御率3.73を記録しました。
下の動画は、2008年のディビジョンシリーズにて、黒田が登板したときの動画です。
黒田は、2009年にもまずまずの成績を残していましたが、8月16日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で打球を頭部に受け、故障者リスト入りをしてしまいます。
これにより、この年は20先発にとどまり、規定投球回に達することができませんでした。
それでも黒田は復活を遂げ、2010年にはメジャーリーグで自己最多となる196.1回を投げ、リーグ18位となる防御率3.39を残します。
ドジャースと1年1200万ドルで再契約を結んだ2011年には、さらに成績を伸ばし、リーグ9位となる防御率3.07を記録しました。
その後、黒田はFAとなり、1年1500万ドルという契約でニューヨーク・ヤンキースに入団します。
この年も開幕から好投を続け、6月13日には日米通算150勝を達成します。
さらに、8月14日のテキサス・レンジャーズ戦では、レンジャーズをわずか2安打に抑えて完封勝利を挙げました。
最終的に、この年はリーグ8位となる防御率3.32を残し、自己最多となる16勝を記録しました。
シーズン終了後、黒田は再びFAとなりますが、ヤンキースと1年契約を結びます。
この年も開幕から好調を維持し、4月14日のボルチモア・オリオールズ戦では、完封勝利を挙げました。
最終的に、黒田はリーグ11位となる防御率3.31を記録しただけでなく、日本人投手としては初めてとなる、4年連続2桁勝利を成し遂げました。
その後、黒田は1年1600万ドルという契約で、ヤンキースに残留します。
この年、黒田は不振に陥り、5月終了時点では防御率4.56という成績でした。
それでも黒田は調子を上げ、最終的に防御率3.71を記録し、5年連続の2桁勝利となる11勝を挙げました。
シーズン終了後、黒田はFAとなり、古巣であるドジャースや、サンディエゴ・パドレスより契約のオファーを受けます。
しかし、黒田は日本球界への復帰を決意し、広島と契約を結びました。
その後、黒田は史上2人目となる日米通算200勝を達成しただけでなく、広島のリーグ優勝に貢献しており、黒田の背番号15は広島の永久欠番に指定されています。
黒田のプレースタイル
黒田はメジャーリーグにて、シンカー、スプリッター、スライダーを中心とした投球を行っていました。
例えば、メジャーリーグでの最終年となった2014年には、シンカーを37.4%、スプリッターを28.2%、スライダーを20.8%の割合で投げています。
特に、スプリッターの評価は極めて高く、当時好投手として知られていたダン・ヘイレンとともに、現役最高のスプリッターと呼ばれていました。
また、ゴールドグラブを受賞することはできませんでしたが、守備の評価も高かったようです。
黒田の年度別成績
年度 | チーム | 勝利 | 敗戦 | 先発 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 防御率 |
1997 | 広島 | 6 | 9 | 23 | 135.0 | 63 | 64 | 4.40 |
1998 | 広島 | 1 | 4 | 6 | 45.0 | 24 | 25 | 6.60 |
1999 | 広島 | 5 | 8 | 16 | 87.2 | 39 | 55 | 6.78 |
2000 | 広島 | 9 | 6 | 21 | 144.0 | 61 | 116 | 4.31 |
2001 | 広島 | 12 | 8 | 27 | 190.0 | 45 | 146 | 3.03 |
2002 | 広島 | 10 | 10 | 23 | 164.1 | 34 | 144 | 3.67 |
2003 | 広島 | 13 | 9 | 28 | 205.2 | 45 | 137 | 3.11 |
2004 | 広島 | 7 | 9 | 21 | 147.0 | 29 | 138 | 4.65 |
2005 | 広島 | 15 | 12 | 28 | 212.2 | 42 | 165 | 3.17 |
2006 | 広島 | 13 | 6 | 25 | 189.1 | 21 | 144 | 1.85 |
2007 | 広島 | 12 | 8 | 26 | 179.2 | 42 | 123 | 3.56 |
2008 | LAD | 9 | 10 | 31 | 183.1 | 42 | 116 | 3.73 |
2009 | LAD | 8 | 7 | 20 | 117.1 | 24 | 87 | 3.76 |
2010 | LAD | 11 | 13 | 31 | 196.1 | 48 | 159 | 3.39 |
2011 | LAD | 13 | 16 | 32 | 202.0 | 49 | 161 | 3.07 |
2012 | NYY | 16 | 11 | 33 | 219.2 | 51 | 167 | 3.32 |
2013 | NYY | 11 | 13 | 32 | 201.1 | 43 | 150 | 3.31 |
2014 | NYY | 11 | 9 | 32 | 199.0 | 35 | 146 | 3.71 |
2015 | 広島 | 11 | 8 | 26 | 169.2 | 29 | 106 | 2.55 |
2016 | 広島 | 10 | 8 | 24 | 151.2 | 30 | 98 | 3.09 |
NPB | 13年 | 124 | 105 | 294 | 2021.2 | 504 | 1461 | 3.55 |
MLB | 7年 | 79 | 79 | 211 | 1319.0 | 292 | 986 | 3.45 |
- LAD:ロサンゼルス・ドジャース
- NYY:ニューヨーク・ヤンキース
各年度の太字はリーグ最高
黒田にまつわるエピソード
① キャッチボールの相手
黒田がドジャースに在籍していた頃、黒田はほぼ毎日、クレイトン・カーショウとキャッチボールをしていました。
カーショウは2008年にメジャーリーグデビューを果たしたばかりの若手であり、黒田とは10歳以上の年齢差がありましたが、黒田と食事に行くことや、プレゼントを交換することもあったようです。
その後、カーショウはメジャーリーグを代表する投手へと成長し、2020年までに3度のサイ・ヤング賞、5度の最優秀防御率に輝いています。
なお、黒田がヤンキースに移籍した後、黒田はカーショウと対戦する機会がありました。
それは、2013年7月31日のことであり、黒田は7回5安打無失点、カーショウは8回5安打無失点と、ともに好投しました(試合はヤンキースが勝利)。
下の動画は、この試合のハイライト動画です。
② 黒田とのバッテリー
黒田がドジャースに入団した当時、ドジャースの正捕手はラッセル・マーティンでした。
マーティンは好守の捕手として知られており、特に黒田はマーティンの捕球技術を高く評価しています。
下の動画は、2008年のディビジョンシリーズにて、マーティンが本塁打を放ったときのものです。
しかし、マーティンは2010年のオフシーズンに、ヤンキースに移籍してしまいました。
ところが、2011年のオフシーズンに黒田もヤンキースに移籍したため、黒田は再びマーティンとバッテリーを組むことができました。
まとめ
- 黒田は2008年にドジャースに入団し、以後7年間にわたりメジャーリーグで活躍した。
- 特に、2011年には防御率リーグ9位、ヤンキースに移籍した2012年には防御率8位に食い込んでいる。
- 黒田はメジャーリーグにて、シンカー、スプリッター、スライダーを中心とした投球を行っており、特にスプリッターは高い評価を受けていた。
- 黒田はドジャース時代、のちにメジャーリーグを代表する投手になるカーショウと、よくキャッチボールをしていた。