2019年11月、元プロ野球選手の新庄剛志が、現役復帰を目指すためにトレーニングを開始したと、インスタグラムに投稿しました。
その2週間後には、新庄の任意引退選手公示が抹消され、新庄は自由契約選手公示されています。
新庄は現役時代、好守だけでなく、「敬遠球をサヨナラ安打」「オールスターゲームで本盗」などのエピソードや、ファンサービスなどで知られた、日本球界を代表する選手でした。
そして、新庄はイチローと並び、日本人野手初のメジャーリーガーになっています。
今回の記事では、新庄のメジャーリーグでの成績や活躍について解説します。
新庄剛志、メジャーでの活躍
1989年のドラフトで阪神タイガースに入団した新庄は、ベストナインに2度、ゴールデングラブ賞に7度輝くなど、日本球界を代表する外野手として活躍していました。
そんな新庄は、2000年のオフシーズンにFAを宣言し、ニューヨーク・メッツと2年契約(3年目は球団側のオプション)を結びます。
その後、新庄は開幕メジャーリーグ入りを果たし、4月3日の開幕戦に出場して初安打を記録しました。
新庄はその後、4月9日の試合で初本塁打を記録するなど活躍したため、徐々に出場機会を増やしていきます。
しかし、6月17日の試合で一塁へ全力疾走した際に、左太股裏の肉離れを起こしてしまい、故障者リストに入ってしまいました。
それでも、7月16日の試合で復帰し、8月30日の試合では単打、三塁打、本塁打に加え、好守を披露するなど、大活躍しています。
最終的にこの年は123試合に出場し、打率.268、10本塁打とまずまずの成績を残しました。
しかし、2001年のオフシーズン、新庄はトレードによりサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍してしまいます。
移籍後の2002年シーズン、打撃成績が下降したうえ、故障者リストに入るなど苦戦し、シーズン途中にレギュラーから落ちてしまいました。
それでも、新庄は守備で活躍し、ジャイアンツのワイルドカード獲得に貢献します。
その後、ジャイアンツはワールドシリーズまで勝ち上がり、新庄はワールドシリーズに初めて出場した日本人選手になりました。
ワールドシリーズの第1戦では、「9番・DH」で出場し、アナハイム・エンゼルスのジャロッド・ウォッシュバーンよりヒットを放っています。
しかし、ジャイアンツは第7戦にてエンゼルスに敗れ、ワールドシリーズ制覇を逃しています。
さらに、シーズン終了後、ジャイアンツは契約のオプションを行使しなかったため、新庄はFAになってしまいました。
その後、新庄はメッツと契約しますが、不振にあえいだため、出場機会が大幅に減ってしまいます。
それでも、6月20日のニューヨーク・ヤンキース戦では刺殺を記録するなど、守備では活躍を見せていました。
しかし、打撃成績が改善されなかったため、6月28日にはマイナーリーグに降格し、7月17日には40人枠から外されてしまいました。
その後、新庄はマイナーリーグでプレーを続けましたが、シーズン終了後には再びFAとなり、北海道日本ハムファイターズに入団しています。
なお、新庄は日本ハムに入団後、主力打者として活躍し、日本ハムの日本一に貢献しました。
新庄剛志のプレースタイル
新庄の最大の武器は外野守備であり、これはメジャーリーグでも十分に発揮されました。
ジャイアンツに在籍した2002年には、守備の指標であるレンジファクター(9イニングあたりいくつのアウトに関与したかを表す指標)で、ナショナルリーグ1位に輝いています。
また、肩が強く、送球も正確だったため、メジャーリーグではテレビの実況にて「ロケットアーム」と呼ばれたことがあります。
一方、打撃では初球から積極的にスイングすることを特徴としていました。
また、左投手を得意としていたため、2002年以降は相手が左投手のときに出場することが多くなったようです。
新庄剛志の年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 打率 | OPS |
1991 | 阪神 | 13 | 2 | 0 | 1 | 0 | .118 | .236 |
1992 | 阪神 | 95 | 98 | 11 | 46 | 18 | .278 | .753 |
1993 | 阪神 | 102 | 105 | 23 | 62 | 20 | .257 | .768 |
1994 | 阪神 | 122 | 117 | 17 | 68 | 30 | .251 | .744 |
1995 | 阪神 | 87 | 70 | 7 | 37 | 26 | .225 | .654 |
1996 | 阪神 | 113 | 97 | 19 | 66 | 55 | .238 | .771 |
1997 | 阪神 | 136 | 112 | 20 | 68 | 44 | .232 | .711 |
1998 | 阪神 | 132 | 92 | 6 | 27 | 25 | .222 | .606 |
1999 | 阪神 | 123 | 120 | 14 | 58 | 23 | .255 | .721 |
2000 | 阪神 | 131 | 142 | 28 | 85 | 32 | .278 | .812 |
2001 | NYM | 123 | 107 | 10 | 56 | 25 | .268 | .725 |
2002 | SF | 118 | 86 | 9 | 37 | 24 | .238 | .664 |
2003 | NYM | 62 | 22 | 1 | 7 | 6 | .193 | .483 |
2004 | 日本ハム | 123 | 150 | 24 | 79 | 15 | .298 | .835 |
2005 | 日本ハム | 108 | 91 | 20 | 57 | 14 | .239 | .729 |
2006 | 日本ハム | 126 | 113 | 16 | 62 | 24 | .258 | .716 |
NPB | 13年 | 1411 | 1309 | 205 | 716 | 326 | .254 | .737 |
MLB | 3年 | 303 | 215 | 20 | 100 | 55 | .245 | .668 |
新庄剛志にまつわるエピソード
① 新庄とボンズ
新庄がジャイアンツに所属していた2002年、ジャイアンツの主砲はバリー・ボンズでした。
ボンズは2001年に73本塁打を記録するなど、メジャーリーグを代表する強打者として活躍していましたが、ジャイアンツでは孤立しがちだったようです。
そんな中、新庄はボンズと積極的にコミュニケーションを取り、親交を深めていたようです。
下の動画は、2002年の開幕戦にボンズが2本塁打5打点を記録したときのものです。
② メッツと日本人選手
ニューヨークを本拠地とするメッツでは、今まで多くの日本人選手がプレーしてきました。
下の表は、メッツでプレーした日本人選手の一覧です。
選手 | 在籍期間 |
柏田貴史 | 1997 |
野茂英雄 | 1998 |
吉井理人 | 1998-1999 |
新庄剛志 | 2001、2003 |
小宮山悟 | 2002 |
松井稼頭央 | 2004-2006 |
石井一久 | 2005 |
高津臣吾 | 2005 |
高橋建 | 2009 |
五十嵐亮太 | 2010-2011 |
高橋尚成 | 2010 |
松坂大輔 | 2013-2014 |
青木宣親 | 2017 |
以上のように、メッツでは今までに13人の日本人選手がプレーしています。
また、メッツでは試合に出場することはありませんでしたが、日本人選手のマック鈴木は、マリナーズからロイヤルズに移籍する際に、メッツを経由して移籍しています。
まとめ
- 新庄は2001年にメッツに入団し、以後3年間にわたりメジャーリーグでプレーした。
- メジャーリーグでは、新庄は主に守備で活躍し、2002年にはレンジファクターで外野手リーグ1位を記録した。
- 新庄がジャイアンツに所属していた2002年、新庄はボンズと積極的にコミュニケーションをとり、親交を深めていった。