甲子園で活躍した選手

【荒木大輔】甲子園での成績、エピソードを紹介!空前の大ちゃんフィーバー!最多黒星記録保持者!!

荒木は1982年のドラフト会議でヤクルトスワローズ(現;東京ヤクルトスワローズ)と読売ジャイアンツから1位指名され、抽選の結果、ヤクルトが交渉権を獲得することになる。

荒木は根っからの巨人ファンで、「巨人以外なら早稲田大学に進学する」と公言していました。ヤクルトは何度自宅を訪問しても門前払い。荒木自身、「ヤクルトへ入団する気は0%で、100%進学だった」と後に語っている。

最終的にはオーナーが直々に挨拶に出向き、その人柄が荒木だけでなく両親の心をも揺さぶり、ヤクルトへ入団することになります。

 

ヤクルトへ入団した荒木は高卒ルーキーながら開幕一軍をつかむと、1年目の5月には初先発・初勝利を飾り幸先の良いスタートを切ることになる。

 

しかし、1年目はこの勝利のみで防御率も5.97。2年目も0勝5敗で防御率7.18とプロの厳しさを知ることになる。

転機が訪れたのは3年目。開幕こそ二軍でスタートするも後半戦には一軍に復帰し、初完投・初完封を大好きだった巨人戦であげると、後半戦だけで6勝をマークし先発ローテションの一角としてプレイしました。

迎えた4年目のシーズンは開幕投手を任されオールスターにも出場したが、このシーズンも8勝13敗と負け越してしまう。翌年も開幕投手を任された荒木は、打線が強化されたチーム事情も手伝って初の二桁勝利をマークしたが、続く88年シーズン中に右肘痛に襲われ戦線離脱。トミー・ジョン手術を受けることになります。

しかし、リハビリに失敗し89年には再手術。さらに91年には椎間板ヘルニアの手術を受けるなど、怪我と手術を繰り返します。

再度荒木が復帰を果たしたのは92年シーズン。野村克也監督の下、古田・池山・広沢などの活躍もあり優勝争いを繰り広げるまでにチームも変わっていました。荒木は9月に復帰登板を果たすと10月には先発として7回を無失点に抑え、1611日ぶりに勝利を手にします。荒木の復帰勝利で勢いづいたチームは14年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

 

93年には8勝4敗、防御率3.92の成績を残し、チームのリーグ連覇に貢献。日本シリーズで昨年敗れた西武ライオンズとの第1戦に先発したのは荒木。6回自責点2の活躍でチームの勝利に貢献、ヤクルトは4勝3敗で日本一を手にしました。

94年は1勝で終わり、95年は一度も登板することなく戦力外通告を受け、翌96年には横浜へ移籍するも勝利を手にすることは出来ずに現役を引退します。

 

【投手成績】

防御率 勝利 敗戦 セーブ
成績 4.80 39 49 2

 

プロ入り後は開幕投手を任されるなどチームの主力選手として活躍する一方、幾度の怪我にも悩まされた荒木大輔。そして、ドラフト指名あいさつでオーナーが直々にあいさつに訪れるほどの選手だった荒木の高校時代とはどのような選手だったのでしょうか。

高校時代の荒木大輔(早稲田実業)

荒木は東京都調布市の出身。

王貞治を輩出するなど、伝統校でもある早稲田実業に入学。

大ちゃんフィーバー 大会記録まであと一歩!44回1/3連続無失点!!

第62回全国高等学校野球選手権東東京大会。

荒木は1年生ながらベンチ入りし、準決勝の帝京戦で被安打3で完封勝利をあげる。エースの怪我により決勝の二松学舎大付属戦でも先発すると、この試合を完投で勝利し甲子園出場を決めます。

 

1回戦の対戦相手は参加校中チーム打率トップで優勝候補、北陽高校。

初戦の朝、早稲田実業のメンバーが宿舎を出発する際に見送ったのは旅館を営む夫婦とアルバイトの女性を合わせたったの3~4人でした。

試合は5回まで北陽を無安打に抑え、6回の先頭打者が内野安打で出塁するも終わってみれば安打はこの1本だけ。優勝候補を相手に完封勝利をあげます。荒木のこの大活躍は、爽やかなルックスと相まって女性ファンから絶大なる支持と人気を集めることになります。試合後、宿舎に戻ると世界が変わっていた。

出発時の見送りが3~4人だったのに対し、宿舎に戻ると数百人のファンが待ち構え、人垣が宿舎の道路をふさぎバスが入れない程の状況に変わっていたのです。これが大ちゃんフィーバーの幕開けでした。

2回戦の東宇治戦では8回1/3を3安打無失点に抑え、続く3回戦の札幌商業戦では4安打完封。準々決勝の興南戦でも3安打完封、準決勝の瀬田工業戦では7安打完封で見事に決勝進出を決める。決勝の相手は愛甲猛擁する横浜高校。投手戦が予想されていた試合は初回から打撃戦となり、早稲田実業にはエラーも続出した結果、準優勝でこの大会を終えました。

この大会以降の活躍も含め、世間では「大輔」が新生児人気名前ランキングの1位になるなど、大ちゃんフィーバーは社会現象として巻き起こり、後に甲子園で数々のドラマと春夏連覇を果たす松坂大輔の名前も松坂の母親が大好きだった荒木大輔から付けられました

⇒ 【松坂大輔】甲子園での成績、エピソードを紹介!一時代を築いた怪物伝説!

 

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金村義明擁する報徳学園

新チームで迎えた秋季東京大会で春の選抜出場を決めた荒木擁する早稲田実業。

このころから荒木は腰痛を発症し思い通りの調整が出来ないままに大会を迎えると、1回戦の東山戦で6失点を喫して初戦敗退。

 

2年の夏も甲子園に出場した荒木は、1回戦の高知高校戦で1安打完封。続く2回戦の鳥取西戦でも8回を無失点に抑える好投で3回戦へと駒を進め、甲子園のアイドルは輝きを取り戻すことになりました。

 

3回戦の相手は報徳学園。

報徳学園は金村義明をエース兼四番に置く優勝候補筆頭のチームでした。

試合は早稲田実業が3点をリードし残すは報徳学園の最後の攻撃のみ。

先頭の金村が出塁すると死球や連続二塁打で同点に追いつかれると延長10回裏にサヨナラ負けを喫してしまう。

試合後に荒木は、「完全なアウェー状態。相手は地元の兵庫で早実なんて関係ない。甲子園でアウェーの状況で試合をしたのは初めてだったかもしれない。」とこれまでファンを味方にし続けた荒木が、初めて自分自身以外への応援の強さを感じた試合となった。

一方の金村は、「顔じゃ負けるかもしれないけど、野球じゃ負けられない」と言ったというエピソードが残っています。なお、勢いに乗った報徳学園はそのまま全国制覇を果たします。

やまびこ打線の池田高校

4期連続の出場となった3年春の選抜は準々決勝の横浜商業戦で1-3と敗退するものの、3年最後の夏の大会も甲子園への出場を決め、5期連続の出場を果たす。

 

この大会を優勝候補として挑んだ早稲田実業は、1回戦の宇治戦、2回戦の星稜戦、3回戦の東海大甲府戦と順当に勝利し、準々決勝に駒を進める。

準々決勝の相手はこちらも優勝候補のやまびこ打線池田高校。

連戦の疲れがあったものの、早稲田実業はこの試合で2-14の大敗を喫する。

試合後、荒木は「大人が金属バットで打っているような感じ」とその強打を評している。

なお、この大会を制したのは池田高校でした。

【荒木大輔】甲子園での成績

第62回選手権大会

スコア 対戦校 勝敗
1回戦 6-0 北陽 完封勝利
2回戦 9-1 東宇治 勝利
3回戦 2-0 札幌商 完封勝利
準々決勝 3-0 興南 完封勝利
準決勝 8-0 瀬田工 完封勝利
決勝 6-4 横浜 準優勝

 

第53回選抜高校野球大会

スコア 対戦校 勝敗
1回戦 2-6 東山 1回戦敗退

 

第63回選手権大会

スコア 対戦校 勝敗
1回戦 4-0 高知 完封勝利
2回戦 5-0 鳥取西 勝利
3回戦 4-5 報徳学園 3回戦敗退

 

第54回選抜高校野球大会

スコア 対戦校 勝敗
1回戦 3-1 西京商 完封勝利
2回戦 3-0 岡山南 完封勝利
準々決勝 1-3 横浜商 ベスト8

 

第64回選手権大会

スコア 対戦校 勝敗
1回戦 12-0 宇治 勝利
2回戦 10-1 星稜 勝利
3回戦 6-3 東海大甲府 勝利
準々決勝 2-14 池田 ベスト8

3度挑んだ夏の甲子園において早稲田実業に勝利したチームがすべて優勝するという珍しい記録とともに、荒木自身も甲子園における最多黒星保持者(12勝5敗)として記録に残ることとなりました。

1人の高校生が甲子園に出場できるのは最多でも5回であることから、この記録は一生更新されることのない記録なのです。

まとめ!

荒木大輔の活躍まとめ!
  • 爽やかなルックス!大ちゃんフィーバー!!
  • 44回1/3連続無失点!
  • 最多黒星記録保持者

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