メジャーリーグ

【メジャー】3度のシーズン60本塁打、サミー・ソーサの成績を紹介!

2013年にバレンティンが記録した60本塁打は、日本球界史上初の60本塁打となりました。

メジャーリーグにおいても、60本塁打は非常に稀な記録であり、5人しか達成したことがありません。

例えば、史上最多の762本を記録したバリー・ボンズや、「野球の神様」と呼ばれるベーブ・ルースは、60本塁打を1度しか達成したことがありません。

しかし、60本塁打を3度も記録した選手がいます。

その選手は、1990年代後半から2000年代前半にかけてシカゴ・カブスで活躍し、通算609本塁打を記録した、サミー・ソーサです。

今回の記事では、ソーサの成績や活躍、薬物問題について解説します。

サミー・ソーサの活躍

ソーサは1968年にドミニカ共和国で誕生し、1985年にドラフト外でテキサス・レンジャーズと契約を結びました。

契約を結んだ当初はまだ16歳でしたが、マイナーリーグでは順調に成長し、1989年6月16日に、わずか20歳でメジャーリーグデビューを果たしました。

デビューの5日後には、当時のメジャーリーグを代表する投手であるロジャース・クレメンスから初本塁打を記録しています。

 

その後、トレードでシカゴ・ホワイトソックスに移籍し、1990年にはメジャーリーグに定着して153試合に出場しました。

このとき、15本塁打を記録しただけでなく、10三塁打、32盗塁を記録しましたが、150三振を喫し、打率は.233にとどまっていました。

さらに、1991年には打率.203、OPS.576という不振に陥り、シーズン途中にマイナーに降格してしまいます。

 

その後、トレードでカブスに移籍しますが、移籍1年目の1992年は、故障に悩み67試合の出場にとどまりました。

しかし、1993年には再びメジャーリーグに定着し、カブス史上初の30本塁打、30盗塁を記録しました。

 

さらに、1994年には打撃の質がさらに向上し、打率.300に初めて到達します。

その後も順調に打撃成績を伸ばし、1995年にはシルバースラッガーを受賞、1996年には初の40本塁打を記録しました。

 

しかし、1997年には不振に陥り、打率.251、リーグ最多の174三振という成績にとどまりました。

それでも1998年には復活を遂げ、マーク・マグワイアとともにハイレベルな本塁打王争いを繰り広げます。

その年の5月24日の時点では、マグワイアの24本に対しソーサは9本と、大きく後れを取っていました。

しかし、ソーサはそこから本塁打を量産し始め、6月には月間20本塁打を達成したうえ、8月10日にはついにマグワイアと46本で並びます。

その後はしばらく並走を続けていましたが、9月に入るとマグワイアが調子を上げ、シーズン本塁打記録(61本)の更新で先を越されてしまいました。

それでも、ソーサは9月13日のミルウォーキー・ブルワーズ戦にて62本目の本塁打を記録しました。

 

最終的に、ソーサは本塁打を66本まで伸ばしただけでなく、158打点を記録して、初の打点王に輝きました。

さらに、カブスをプレーオフに導いた功績が認められ、初のMVPを受賞しただけでなく、コミッショナー特別表彰を受けています。

ソーサは1999年も本塁打を量産し、63本塁打を記録しますが、このときもマグワイア(65本塁打)に本塁打王をさらわれてしまいました。

しかし、2000年には50本塁打を記録し、ついに本塁打王に輝くことができました。

さらに、2001年には64本塁打を記録し、メジャーリーグ初となる3度目の60本塁打を記録しました。

 

そして、2002年には49本塁打で2度目の本塁打王に輝いています。

この頃から徐々に成績が下降し始めますが、2003年の4月4日には、通算500本塁打を達成しました。

 

その後、2005年にボルチモア・オリオールズに移籍しますが、打率.221、14本塁打と低迷してしまいます。

その結果、シーズン後にFAとなりますが、2006年のシーズンが始まっても、所属先が決まらない状態でした。

しかし、ソーサは2007年のシーズンからの復帰を目指し、古巣であるレンジャーズとマイナー契約を結びました。

その後、キャンプで結果を残したため、メジャーリーグのロースターに食い込み、6月20日にはメジャーリーグ史上5人目となる通算600本塁打を放ちました。

最終的に、シーズンでは21本塁打を記録しましたが、再びFAとなり、2009年6月3日に正式に引退を表明しました。

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引退後のソーサ(薬物問題)

引退後、ソーサはマグワイアやホセ・カンセコなどともに、薬物問題に巻き込まれます。

2005年に開かれたアメリカの議会の証人喚問では、ソーサは禁止薬物の使用を全面否定していました。

しかし、2009年6月16日のニューヨーク・タイムズの記事にて、ソーサが2003年のドーピングにて陽性だったことが報じられてしまいます。

その結果、2013年より始まった野球殿堂入りへの投票では、得票率が低迷しています。

 

回数 得票率(%)
1 2013 12.5
2 2014 7.2
3 2015 6.6
4 2016 7.0
5 2017 8.6
6 2018 7.8
7 2019 8.5
8 2020 13.9

一方で、ソーサは引退後、病院の訪問や障がい者のための基金の運営など、様々な慈善活動に取り組んでいるようです。

ソーサのプレースタイル

ソーサが記録した通算609本塁打は、現在では史上9位の記録であり、アメリカ合衆国外出身の選手に限れば、アルバート・プホルスに次ぐ史上2位の記録です。

このように、本塁打に関する記録が目立ちますが、ソーサにはスピードもあり、シーズン30盗塁を3回、通算234盗塁を記録しています。

この点は、通算12盗塁にとどまったマグワイアとは、大きく異なります。

また、守備に関しては、ゴールドグラブを受賞したことはありませんが、強肩を武器としていたようです。

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ソーサの年度別成績

年度 チーム 試合 安打 本塁打 打点 四球 打率 OPS
1989 TEX/CHW 58 47 4 13 11 .257 .669
1990 CHW 153 124 15 70 33 .233 .687
1991 CHW 116 64 10 33 14 .203 .576
1992 CHC 67 68 8 25 19 .260 .710
1993 CHC 159 156 33 93 38 .261 .794
1994 CHC 105 128 25 70 25 .300 .884
1995 CHC 144 151 36 119 58 .268 .840
1996 CHC 124 136 40 100 34 .273 .888
1997 CHC 162 161 36 119 45 .251 .779
1998 CHC 159 198 66 158 73 .308 1.024
1999 CHC 162 180 63 141 78 .288 1.002
2000 CHC 156 193 50 138 91 .320 1.040
2001 CHC 160 189 64 160 116 .328 1.174
2002 CHC 150 160 49 108 103 .288 .993
2003 CHC 137 144 40 103 62 .279 .911
2004 CHC 126 121 35 80 56 .253 .849
2005 BAL 102 84 14 45 39 .221 .671
2006 所属球団なし
2007 TEX 114 104 21 92 34 .252 .779
通算 18年 2354 2408 609 1667 929 .273 .878
  • TEX:テキサス・レンジャーズ
  • CHW:シカゴ・ホワイトソックス
  • CHC:シカゴ・カブス
  • BAL:ボルチモア・オリオールズ

各年度の太字はリーグ最高

ソーサにまつわるエピソード

① ソーサとブッシュ大統領

ソーサがレンジャーズでメジャーリーグデビューを果たした1989年当時、レンジャーズの共同オーナーの1人に、のちに大統領となるジョージ・ブッシュがいました。

しかし、ソーサはその年の7月29日にトレードでホワイトソックスに移籍しています。

その後、ソーサが活躍したことから、ブッシュはこのトレードを「最大のミス」と振り返っています。

なお、ブッシュは現在、レンジャーズのオーナーからは退いていますが、試合観戦に訪れることはあるようです。

 

② 史上初の500本塁打コンビ

ソーサが2005年オリオールズに移籍したとき、ソーサの通算本塁打は574本でした。

一方で、当時のオリオールズにはラファエル・パルメイロが所属しており、2005年の開幕の時点で、通算551本塁打を記録しており、ソーサと合わせて史上初の500本塁打コンビとなりました。

なお、パルメイロはこの年の7月15日に、通算3000安打を記録し、史上4人目となる「3000安打、500本塁打」を達成しています。

しかし、この直後のドーピング検査にて陽性反応が出ており、パルメイロは10日間の出場停止処分を受けています。

また、ソーサと同様に、アメリカ野球殿堂に入ることができていません。

まとめ

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  • ソーサはメジャーリーグで唯一、シーズン60本塁打を3度記録した強打者。
  • 1998年にマグワイアとハイレベルな本塁打王争いを繰り広げ、敗れたものの66本塁打を記録した。
  • 通算609本塁打は史上9位で、アメリカ合衆国外出身の選手に限れば史上2位の記録。
  • 引退後に薬物問題が発覚し、アメリカ野球殿堂入りを果たすことができていない。

 



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