メジャーリーグ

【メジャー】日米で活躍した強打者、ベン・オグリビーの成績を紹介!

2020年、日本球界に、メジャーリーグで輝かしい実績を残した選手が多く移籍しました。

例えば、オリックス・バファローズに移籍したアダム・ジョーンズは、メジャーリーグで通算1939安打、282本塁打を記録し、ゴールドグラブを4回受賞しています。

また、読売ジャイアンツに移籍したヘラルド・パーラは、ゴールドグラブを2回受賞しているだけでなく、2019年のワシントン・ナショナルズのワールドシリーズ制覇に大きく貢献しています。

しかし、以前には、メジャーリーグで打撃タイトルを獲得した選手が、日本球界に移籍したこともあります。

メジャーリーグで本塁打王に輝き、のちに近鉄バファローズに移籍したベン・オグリビーも、そのような選手の1人です。

今回の記事では、オグリビーの成績や活躍について解説します。

ベン・オグリビーの活躍

オグリビーは1949年にパナマにて誕生し、1968年のドラフトにて、11巡目でボストン・レッドソックスに指名されて入団しました。

その後、マイナーリーグの階段を順調に登り、1971年にメジャーリーグデビューを果たします。

しかし、この年は打率.263、OPS.605、1972年も打率.241、OPS.684と、結果を残すことができませんでした。

 

さらに、この頃のレッドソックスの外野には、カール・ヤストレムスキーやレジー・スミス、ドワイト・エバンスといった強打者が多く、出場機会を十分に得ることができませんでした。

その結果、1973年のオフシーズンに、オグリビーはトレードでデトロイト・タイガースに移籍します。

 

しかし、オグリビーはこれを機に出場機会を増やし、成績も向上しました。

1974年に自己最高の打率.270、OPS.738を記録すると、1977年には自己最多となる132試合に出場して21本塁打を放ちました。

 

そして、1977年のオフシーズンにトレードでミルウォーキー・ブルワーズに移籍すると、オグリビーはさらに成績を伸ばします。

移籍後の1978年に自己最高となる打率.303を記録すると、1979年には29本塁打を放ちました。

 

そして、1980年には41本塁打を放って本塁打王に輝いただけでなく、打率.304、118打点を記録してシルバースラッガーを受賞しました。

その後もオグリビーは活躍を続け、1982年には34本塁打を記録し、ブルワーズのワールドシリーズ進出に貢献しています。

下の動画は、リーグチャンピオンシップシリーズにて本塁打を放ったときの動画です。

 

しかし、その後は成績が下降し、出場機会も徐々に減っていきました。

そして、1986年のオフシーズンにFAとなると、オグリビーは近鉄バファローズに移籍します。

 

すると、オグリビーは日本球界に適応し、打率.300、24本塁打、OPS.897という好成績を残しました。

さらに、1988年には、打率.311、22本塁打、OPS.932と活躍を続け、ラルフ・ブライアントと共にチームの躍進に貢献しています。

なお、オグリビーはこの年の10月19日のロッテ・オリオンズとのダブルヘッダー、いわゆる「10.19」にも出場し、第2試合ではタイムリーヒットを放っています。

 

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その後、オグリビーは近鉄を退団し、メジャーリーグ復帰を目指してブルワーズとマイナー契約を結びましたが、マイナーリーグにて2試合出場しただけで引退してしまいました。

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引退後のオグリビー

オグリビーは引退後、主にマイナーリーグのコーチとして、野球に携わっていました。

また、2000年にはサンディエゴ・パドレスのコーチに就任しましたが、1年で辞任しています。

なお、1992年にはアメリカ野球殿堂入りの投票対象となりましたが、票を得ることができず、投票の対象から外れてしまいました。

オグリビーのプレースタイル

オグリビーの最大の特徴は、グリップを後方に構える独特なバッティングフォームでした。

1980年に本塁打王を獲得したように、パワーを武器としていましたが、メジャーリーグにて打率3割を2度記録しているように、打率を残すこともできました。

一方で、守備や走塁は平凡でしたが、走塁は積極的であり、メジャーリーグ通算で87盗塁を記録しています。

さらに、オグリビーは非常に真面目で紳士的な人柄や、野球に真摯に取り組む姿勢で知られており、近鉄時代の同僚からも信頼されていました。

なお、オグリビーのメジャーリーグ通算1615安打、235本塁打は、パナマ出身のメジャーリーガーとしては、それぞれ史上3位、2位となっています。

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オグリビーの年度別成績

年度 チーム 試合 安打 本塁打 打点 四球 打率 OPS
1971 BOS 14 10 0 4 0 .263 .605
1972 BOS 94 61 8 30 18 .241 .684
1973 BOS 58 32 2 9 9 .218 .602
1974 DET 92 68 4 29 34 .270 .738
1975 DET 100 95 9 36 16 .286 .735
1976 DET 115 87 15 47 11 .285 .804
1977 DET 132 118 21 61 40 .262 .789
1978 MIL 128 142 18 72 52 .303 .867
1979 MIL 139 145 29 81 48 .282 .869
1980 MIL 156 180 41 118 54 .304 .925
1981 MIL 107 97 14 72 37 .243 .705
1982 MIL 159 147 34 102 70 .244 .780
1983 MIL 125 115 13 66 60 .280 .806
1984 MIL 131 121 12 60 44 .262 .711
1985 MIL 101 99 10 61 37 .290 .794
1986 MIL 103 98 5 53 30 .283 .724
1987 近鉄 110 124 24 74 37 .300 .897
1988 近鉄 114 122 22 65 54 .311 .932
MLB 16年 1754 1615 235 901 560 .273 .786
NPB 2年 224 246 46 139 91 .306 .914
  • BOS:ボストン・レッドソックス
  • DET:デトロイト・タイガース
  • MIL:ミルウォーキー・ブルワーズ

各年度の太字はリーグ最高

オグリビーにまつわるエピソード

① ハーベイズ・ウォールバンガーズ

1982年にワールドシリーズに進出したブルワーズは、当時、ハーベイズ・ウォールバンガーズ(Harvey’s Wallbangers)と呼ばれていました。

このニックネームの由来は、ハーベイ・ウォールバンガーと呼ばれるカクテルであり、ブルワーズの監督がハーベイ・キーンという名前だったことから、このようなニックネームがつきました。

また、このときのブルワーズには、オグリビー以外にも強打者が多くいました。

選手 ポジション 本塁打 打点 打率 OPS
テッド・シモンズ C 23 97 .269 .759
セシル・クーパー 1B 32 121 .313 .870
ロビン・ヨーント SS 29 114 .331 .957
ポール・モリター 3B 19 71 .302 .816
ベン・オグリビー LF 34 102 .244 .780
ゴーマン・トーマス CF 39 112 .245 .850

この打線の中では、モリターとヨーントが通算3000安打を記録しています。

また、シモンズも好打の捕手として通算2472安打を記録し、2020年にアメリカ野球殿堂入りを果たしました。

下の動画は、ブルワーズがワールドシリーズ進出を決めたときのものです。

 

② 10.19に出場したメジャーリーガー

オグリビーが近鉄時代に出場した「10.19」は、日本球界の歴史に残る名勝負として、語り継がれています。

この「10.19」には、オグリビー以外にもメジャーリーグで打撃タイトルを獲得した選手が出場していました。

そのメジャーリーガーとは、メジャーリーグで4度首位打者を獲得したビル・マドロックです。

 

マドロックは、主にシカゴ・カブスやピッツバーグ・パイレーツで活躍し、1975、1976、1981、1983年に首位打者を獲得しています。

メジャーリーグ通算では打率.305、2008安打を記録し、1988年にロッテに移籍しました。

しかし、オグリビーとは異なり、打率.263、19本塁打と結果を残すことができず、1年でロッテを退団しています。

 

まとめ

オグリビーまとめ!
  • オグリビーは日米で活躍した強打者であり、1980年には本塁打王を獲得した。
  • オグリビーは近鉄に在籍していたことがあり、「10.19」にも出場している。
  • オグリビーは真面目で紳士的な人柄や、野球に真摯に取り組む姿勢で知られ、同僚からの信頼を得ていた。
  • オグリビーが活躍した1982年のブルワーズは、ハーベイ・ウォールバンガーズと呼ばれていた。



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