東京読売ジャイアンツの主将を務め、これまでベストナイン4回、ゴールデングラブ賞2回を獲得し、今や日本プロ野球界を代表する選手となった坂本勇人。
高卒1年目の7月に一軍でデビューを果たしてから10年以上もの間、読売ジャイアンツの正遊撃手として活躍しています。11年連続で二桁本塁打を放つ長打力に、50メートル6.0秒の俊足、守っては広い守備範囲に遠投110メートルの強肩と、走攻守3拍子揃った最高の選手の1人です。
プロ野球 打撃成績(2019年時点)
打数 | 安打 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 | 長打率 | |
成績 | 6440 | 1884 | 223 | 152 | .293 | .457 |
現在も活躍し続ける坂本選手は、2006年の高校生ドラフト会議にて中日ドラゴンズに入団した堂上直道のハズレ1位で読売ジャイアンツに入団。プロ入り前はそれほど大きな話題を作るような選手ではありませんでした。
そんな坂本選手の高校時代を振り返って行きます。
高校時代の坂本勇人(八戸学院光星高等学校)
坂本は兵庫県伊丹市の出身。
小学1年生から野球を始め、少年野球チームでは投手を行っていました。その時にバッテリーを組んでいたのが、チームメイトで捕手の田中将大でした。
日本プロ野球界屈指の遊撃手・坂本と世界でも活躍するエース・田中のバッテリー。
想像するだけでも恐ろしいチームですね。
坂本は中学卒業後、青森県八戸市の光星学院(現、八戸学院光星高等学校)に入学。
1年生の秋から遊撃手のレギュラーとして活躍し、甲子園にも春1回出場しています。
「辞めたい」と言った高校1年冬
高校時代の恩師である金沢監督は、入学した時の坂本の印象について、「入学した時からプロに行くだろうと確信した逸材です。」と話していました。
また、その理由として、180cm以上の恵まれた体格に巧みなバットコントロール、身のこなしの良さに動作の柔らかさ、守備でもハンドリングの良さやスローイングの良さに目を見張るものがあったと言い、現在のプロ野球選手・坂本の素質が高校入学時代からすでに備わっていたことを明かしています。
そんな坂本には良くも悪くも喜怒哀楽が激しく我が強い一面がありました。
1年冬の年末年始を地元に帰って過ごした坂本は、正月明け早々「野球部を辞めたい」と言ったのです。
地元の兵庫県から遠く離れた青森県での寮暮らし。当時16歳の少年は、地元の友人と楽しい時間を過ごしたことで一気に気持ちが緩んだ結果でした。
当時、金沢監督は、「辞めろ!」と言って突き放しましたが、内心は辞めさせるつもりは全くなく、すぐに坂本の父親に電話をして本人としっかり話をするように伝えました。
再び帰省した坂本は一週間ほどして学校に戻り、野球部にも戻ることになります。
この出来事から坂本は練習に対する取り組み姿勢が一変。
能力の高さだけでなく、負けず嫌いの性格と持ち前の我の強さが良い面として出てきました。
第78回選抜高等学校野球大会出場
坂本が2年生で迎えた秋季青森県大会を制した光星学院は東北大会に出場します。
東北地区大会
スコア | 対戦校 | 勝敗 | |
2回戦 | 9-2(7回コールド) | 宮城水産(宮城3位) | 勝利 |
準々決勝 | 5-4 | 金足農(秋田2位) | 勝利 |
準決勝 | 3-0 | 東北(宮城1位) | 勝利 |
決勝 | 2-4(サヨナラ) | 秋田商(秋田1位) | 準優勝 |
東北地区からは2校が選抜されるため、坂本にとって最初で最後の甲子園出場が決まりました。
選抜大会に出場した光星学院は、1回戦で中国地区代表の関西高校(岡山県)と対戦。
対戦相手の投手は、のちに高校生ドラフトで北海道日本ハムファイターズに4位指名されるダース・ローマシュ匡。
ダースローマシュ匡(関西) #新しいプロフィール画像 pic.twitter.com/rQogUkkopd
— 栄冠ナインの秋 Season2 (@eikan9de2014_2) October 14, 2019
チームは6安打に抑えられ4-6で敗れるも、4番遊撃手で出場した坂本は5打数3安打1打点の成績を残します。
第78回選抜高等学校野球大会
スコア | 対戦校 | 勝敗 | |
1回戦 | 4-6 | 関西 | 敗退 |
選抜大会敗退後に行われた春季東北大会。
坂本は、16打数13安打4本塁打、打率.813という驚異的な成績を残します。
この大会での成績こそが読売ジャイアンツがドラフト上位候補に挙げる際の裏付けとなったと言われています。
夏の青森県大会は決勝で敗退したものの、高校通算で39本塁打を放った坂本は、プロ入りしたいという目標が明確になり、それまで以上に真剣に練習に取り組むようになりました。
もともと持っていた素質に努力が加わった結果が今の坂本の礎を築いたと言っても過言ではないかも知れません。
まとめ
- 野球を辞めようとした高校1年
- 高校時代は無名だった
- 負けず嫌いで我が強い性格