2019年に引退したイチローは、日米通算で4367安打を記録しており、これは世界のプロ野球における通算安打記録です。
一方で、メジャーリーグだけに限れば、イチローは3089安打を記録しており、これはメジャーリーグ史上23位の記録です。
そして、メジャーリーグの通算安打記録を保持しているのは、4256安打を記録したピート・ローズです。
今回の記事では、ローズの成績や活躍、野球賭博について解説します。
ピート・ローズの活躍
ローズは1941年にシンシナティで誕生し、高校卒業後の1960年に地元のシンシナティ・レッズに入団しました。
その後、ローズはマイナーリーグにて、1961年に打率.331、1962年に打率.330と結果を残します。
すると、1963年の春季キャンプ中に、レッズの正二塁手であるドン・ブラッシンゲームが故障したため、ローズがメジャーリーグに昇格することになりました。
その結果、ローズは打率.273、6本塁打、13盗塁を記録し、新人王を獲得しました。
1965年には、打率.312、209安打を記録しただけでなく、MVP投票で6位に食い込み、レッズの主力選手へと成長します。
そして、1968年には、打率.335を記録して初の首位打者に輝き、MVP投票では2位につけました。
さらに、1969年には、自己最高となる打率.348を記録し、2年連続で首位打者を獲得しています。
一方、ローズの活躍と同時に、レッズは強豪へと変化を遂げ、1970年にリーグ優勝を果たし、「ビッグレッドマシン」と呼ばれるようになりました。
1970年以降も、ローズは安定して打率.300以上を記録していましたが、1973年には打率.338を残して3度目の首位打者を獲得しただけでなく、自己最多となる230安打を放ち、ついにMVPに輝きました。
その後、ローズは1975年に打率.317、1976年に打率.323を記録し、レッズのワールドシリーズ連覇に貢献しています。
そして、1978年5月5日には、史上13人目となる通算3000安打を達成しました。
しかし、シーズン終了後にFAとなり、フィラデルフィア・フィリーズに移籍します。
それでもローズは活躍を続け、1979年には打率.331を記録し、1980年にはフィリーズのワールドシリーズ制覇に貢献しました。
さらに、1981年には打率.325を残し、スタン・ミュージアルの持つナショナルリーグでの通算安打記録(3630安打)を更新しました。
しかし、その後は成績が低迷して出場機会が減ったため、ローズは出場機会を求めて1984年にモントリオール・エクスポスに移籍します。
エクスポスでプレーしたのは、わずかに95試合だけでしたが、その間に史上2人目となる通算4000安打を達成しました。
その後、1984年のシーズン途中にレッズに復帰し、レッズの選手兼任監督に就任します。
このとき、ローズは移籍後に打率.365を記録し、復活を遂げました。
そして、1985年は開幕から安打を積み重ね、9月11日にはタイ・カッブの持つメジャーリーグの通算安打記録(4191安打)を更新しました。
その後。ローズは1986年まで選手兼任監督としてプレーを続けましたが、1987年からは監督業に専念することとなり、選手を引退しました。
引退後のローズ、野球賭博問題
ローズが監督業に専念してからは、レッズは2年連続で地区2位に食い込むなど、まずまずの成績を残していました。
しかし、1989年のシーズン途中、ローズの野球賭博への関与が発覚します。
この野球賭博では、ローズが監督を務めるレッズも賭けの対象に含まれていたことから、コミッショナーであるバート・ジアマッティは、ローズに永久追放処分を科しました。
その結果、ローズはメジャーリーグに関わることができなくなってしまいました。
また、ローズは1992年より対象となるはずだった野球殿堂入りへの投票から除外されており、野球殿堂入りを果たすことができていません。
ただ、2015年には特例許可が下りたことから、シンシナティで開催されたオールスターゲームのセレモニーに出席しています。
また、2016年には、ローズがレッズ時代に身に付けた背番号14が、レッズの永久欠番に指定されています。
ローズのプレースタイル
ローズの最大の特徴は全力プレーであり、捕手への体当たりやヘッドスライディングをよく仕掛けていました。
そのため、「チャーリー・ハッスル」というニックネームで親しまれていました。
その一方で、現役を通して大きな怪我はほとんどなく、故障者リストには2回しか入ったことがありません。
そのため、通算安打記録(4256安打)だけでなく、試合数(3562試合)、打席数(15861打席)、打数(14053打数)の通算記録も保持しています。
また、打撃では、身体を大きく屈めるクラウチングスタイルを特徴としており、ミート力に長けていました。
一方で、長打力はあまりありませんでしたが、果敢な走塁により、史上2位となる通算746二塁打を記録しています。
なお、守備もうまく、外野手として2度ゴールドグラブを受賞しています。
ローズの年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 打率 | OPS |
1963 | CIN | 157 | 170 | 6 | 41 | 55 | .273 | .705 |
1964 | CIN | 136 | 139 | 4 | 34 | 36 | .269 | .645 |
1965 | CIN | 162 | 209 | 11 | 81 | 69 | .312 | .828 |
1966 | CIN | 156 | 205 | 16 | 70 | 37 | .313 | .811 |
1967 | CIN | 148 | 176 | 12 | 76 | 56 | .301 | .808 |
1968 | CIN | 149 | 210 | 10 | 49 | 56 | .335 | .861 |
1969 | CIN | 156 | 218 | 16 | 82 | 88 | .348 | .940 |
1970 | CIN | 159 | 205 | 15 | 52 | 73 | .316 | .855 |
1971 | CIN | 160 | 192 | 13 | 44 | 68 | .304 | .793 |
1972 | CIN | 154 | 198 | 6 | 57 | 73 | .307 | .799 |
1973 | CIN | 160 | 230 | 5 | 64 | 65 | .338 | .838 |
1974 | CIN | 163 | 185 | 3 | 51 | 106 | .284 | .773 |
1975 | CIN | 162 | 210 | 7 | 74 | 89 | .317 | .838 |
1976 | CIN | 162 | 215 | 10 | 63 | 86 | .323 | .854 |
1977 | CIN | 162 | 204 | 9 | 64 | 66 | .311 | .809 |
1978 | CIN | 159 | 198 | 7 | 52 | 62 | .302 | .783 |
1979 | PHI | 163 | 208 | 4 | 59 | 95 | .331 | .848 |
1980 | PHI | 162 | 185 | 1 | 64 | 66 | .282 | .706 |
1981 | PHI | 107 | 140 | 0 | 33 | 46 | .325 | .781 |
1982 | PHI | 162 | 172 | 3 | 54 | 66 | .271 | .683 |
1983 | PHI | 151 | 121 | 0 | 45 | 52 | .245 | .602 |
1984 | MON/CIN | 121 | 107 | 0 | 34 | 40 | .286 | .696 |
1985 | CIN | 119 | 107 | 2 | 46 | 86 | .264 | .713 |
1986 | CIN | 72 | 52 | 0 | 25 | 30 | .219 | .586 |
通算 | 24年 | 3562 | 4256 | 160 | 1314 | 1566 | .303 | .784 |
- CIN:シンシナティ・レッズ
- PHI:フィラデルフィア・フィリーズ
- MON:モントリオール・エクスポス
各年度の太字はリーグ最高
ローズにまつわるエピソード
① ビッグレッドマシン
ローズが在籍していた1970年代のレッズは、5度のプレーオフ進出、4度のリーグ優勝、2度のワールドシリーズ制覇を誇り、「ビッグレッドマシン」と呼ばれていました。
下の動画は、1975年にレッズがワールドシリーズ制覇を成し遂げたときのものです。
特に、当時のレッズは強力打線を武器としており、以下のようなメンバーでした。
選手 | ポジション | 主な実績 |
ジョニー・ベンチ | C | アメリカ野球殿堂入り
MVP2回、本塁打王2回、打点王3回 ゴールドグラブ賞10回、通算389本塁打 |
トニー・ペレス | 1B | アメリカ野球殿堂入り
通算2732安打、379本塁打 |
ジョー・モーガン | 2B | アメリカ野球殿堂入り
MVP2回、シルバースラッガー賞1回 ゴールドグラブ賞5回 通算2517安打、268本塁打、689盗塁 |
ピート・ローズ | 3B | MVP1回、首位打者3回
シルバースラッガー賞1回 ゴールドグラブ賞2回、通算4256安打 |
デーブ・コンセプシオン | SS | シルバースラッガー賞2回
ゴールドグラブ賞5回 通算2326安打、321盗塁 |
ジョージ・フォスター | LF | MVP1回、本塁打王2回、打点王3回
シルバースラッガー賞1回 通算1925安打、348本塁打 |
シーザー・ジェロニモ | CF | ゴールドグラブ賞4回、通算977安打 |
ケン・グリフィー・シニア | RF | 通算2143安打、200盗塁
ケン・グリフィー・ジュニアの父 |
上の表のように、メンバーのうち3人が野球殿堂入りを果たしており、この3人とローズ、コンセプシオンの5人は、背番号がレッズの永久欠番に指定されています。
2013年にはこれらのメンバーがシンシナティに招かれ、セレモニーが開催されました。
② 日米野球
1978年、レッズは日米野球のために来日しました。
このとき、ローズは闘志あふれるプレーを見せ、人気を集めました。
その後、1980年頃に、ローズはカップラーメン「マルちゃん 激めん」のCMに出演しいています。
③ ピート・ローズ・ジュニア
ローズの長男であるピート・ローズ・ジュニアは、少年時代にレッズのバットボーイを務めていました。
また、ローズ・ジュニアも野球をプレーしており、1997年にはレッズでメジャーリーグデビューを果たしています。
このとき、ローズ・ジュニアは父の前で初安打を記録し、話題になりました。
しかし、ローズ・ジュニアはメジャーリーグに定着することができず、通算で2安打しか記録することができませんでした。
それでも、マイナーリーグでは13年間プレーを続け、通算1030安打を記録しています。
まとめ
- ピート・ローズはメジャーリーグの通算安打記録(4256安打)を保持している好打者。
- 「ビッグレッドマシン」のメンバーとして活躍し、1975年と1976年にはワールドシリーズ連覇を成し遂げた。
- 引退後、監督として野球賭博に関与していたため、メジャーリーグからの永久追放処分を受けており、アメリカ野球殿堂に入ることができていない。
- 全力プレーを特徴としており、「チャーリー・ハッスル」というニックネームで親しまれていた。