イチローや松井秀喜など、今までに多くの日本人選手がメジャーリーグでプレーしてきました。
しかし、その中でワールドシリーズに出場し、見事に優勝を経験した日本人選手は、わずか7人しかいません。
そのような日本人選手の第1号となったのは、2005年にワールドシリーズ制覇を経験した井口資仁です。
今回の記事では、井口のメジャーリーグでの成績や活躍について解説します。
井口資仁、メジャーでの活躍
1996年のドラフトで福岡ダイエーホークスに入団した井口は、盗塁王を2回獲得し、ゴールデングラブとベストナインを3回ずつ受賞するなど、走攻守の全てで活躍していました。
そんな井口は、2004年のオフシーズンにメジャーリーグに挑戦することを表明し、シカゴ・ホワイトソックスと2年470万ドルの契約を結びます。
シーズンが始まると、井口は二塁手としてレギュラーに定着し、打率.278、15本塁打、15盗塁という好成績を残しました。
一方、この年ホワイトソックスは地区優勝を果たし、プレーオフに進出します。
井口はアメリカンリーグのディビジョンシリーズで逆転本塁打を放つなど活躍し、ホワイトソックスの88年ぶりとなるワールドシリーズ制覇に貢献しました。
2006年も井口は活躍を続け、打率.281、18本塁打、11盗塁という成績を残します。
しかし、2007年は開幕直後に故障したにもかかわらず、強行出場を続けたため、打率.251と苦戦してしまいました。
そんな中、井口は7月27日にフィラデルフィア・フィリーズにトレードで移籍します。
当時、フィリーズは14年ぶりとなる地区優勝に向けて争っていましたが、二塁手で主力のチェイス・アトリーが骨折で離脱しており、その代役として期待されていました。
その結果、井口は打率.304、OPS.803という好成績を残し、地区優勝に貢献しました。
シーズン終了後、井口はFAとなり、サンディエゴ・パドレスと1年契約を結びます。
しかし、4月中に32打席連続無安打を記録するなど不調に陥り、9月1日に解雇されてしまいました。
その後、井口は再びフィリーズと契約しますが、4試合の出場にとどまり、オフシーズンには再びFAとなります。
やがて、年が明けた1月20日、井口は千葉ロッテマリーンズと3年契約を結び、日本球界に復帰しました。
なお、その後井口は2017年まで現役を続け、日米通算2254安打、295本塁打、22盗塁を記録しています。
井口のプレースタイル
メジャーリーグに移籍する前、30二塁打を2回、30本塁打を1回記録するなど、長打力を発揮していました。
しかし、ホワイトソックスでは2番打者として出場することが多く、3番打者以降に繋ぐことを求められていたため、長打はやや減ってしまいました。
しかし、そのような中でも井口は2年連続で15本塁打以上を記録しているため、チームメイトからは「25本塁打を打つ力はある」と評価されています。
一方、守備に関しては、井口はメジャーリーグにて二塁手として出場していました。
当時、グラブ捌きは高く評価されていましたが、守備範囲はあまり広くなかったようです。
ただ、二塁手としては肩が強く、2006年には下の動画のようなプレーを披露しています。
井口の年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 | OPS |
1997 | ダイエー | 76 | 44 | 8 | 23 | 3 | .203 | .673 |
1998 | ダイエー | 135 | 93 | 21 | 66 | 12 | .221 | .712 |
1999 | ダイエー | 116 | 83 | 14 | 47 | 14 | .224 | .694 |
2000 | ダイエー | 54 | 40 | 7 | 23 | 5 | .247 | .774 |
2001 | ダイエー | 140 | 144 | 30 | 97 | 44 | .261 | .821 |
2002 | ダイエー | 114 | 111 | 18 | 53 | 21 | .259 | .740 |
2003 | ダイエー | 135 | 175 | 27 | 109 | 42 | .340 | 1.011 |
2004 | ダイエー | 124 | 170 | 24 | 89 | 18 | .333 | .943 |
2005 | CWS | 135 | 142 | 15 | 71 | 15 | .278 | .780 |
2006 | CWS | 138 | 156 | 18 | 67 | 11 | .281 | .774 |
2007 | CWS/PHI | 135 | 124 | 9 | 43 | 14 | .267 | .747 |
2008 | SD/PHI | 85 | 72 | 2 | 24 | 8 | .232 | .598 |
2009 | ロッテ | 123 | 126 | 19 | 65 | 4 | .281 | .866 |
2010 | ロッテ | 143 | 156 | 17 | 103 | 2 | .294 | .888 |
2011 | ロッテ | 140 | 135 | 9 | 73 | 1 | .265 | .737 |
2012 | ロッテ | 140 | 129 | 11 | 60 | 3 | .255 | .727 |
2013 | ロッテ | 135 | 144 | 23 | 83 | 4 | .297 | .902 |
2014 | ロッテ | 109 | 85 | 10 | 49 | 1 | .238 | .715 |
2015 | ロッテ | 87 | 56 | 6 | 28 | 1 | .247 | .726 |
2016 | ロッテ | 79 | 39 | 5 | 34 | 1 | .257 | .749 |
2017 | ロッテ | 65 | 30 | 2 | 15 | 0 | .244 | .690 |
NPB | 17年 | 1915 | 1760 | 251 | 1017 | 176 | .270 | .808 |
MLB | 4年 | 493 | 494 | 44 | 205 | 48 | .268 | .739 |
- CHW:シカゴ・ホワイトソックス
- PHI:フィラデルフィア・フィリーズ
- SD:サンディエゴ・パドレス
各年度の太字はリーグ最高
井口にまつわるエピソード
① 日本人選手とワールドシリーズ
冒頭で触れたように、井口はワールドシリーズに出場し優勝を経験した、初めての日本人選手です。
しかし、井口以前にもワールドシリーズと関わった日本人選手は多くいます。
まず、1998年にニューヨーク・ヤンキースに所属した伊良部秀輝は、ヤンキースがその年にワールドシリーズを制覇したため、チャンピオンリングを獲得しています。
ただ、伊良部は当時調子を落としていたため、ワールドシリーズには出場していませんでした。
また、2002年には新庄剛志(サンフランシスコ・ジャイアンツ)、2003年には松井秀喜(ヤンキース)、2004年には田口壮(セントルイス・カージナルス)がワールドシリーズに出場しましたが、敗退しています。
そのため、2005年にワールドシリーズを制覇したホワイトソックスの井口が、出場と優勝を経験した初めての日本人選手になりました。
なお、ホワイトソックスが優勝を決めた瞬間、井口はベンチにいました。
そのため、「優勝を決めた瞬間に出場していた初めての日本人選手」は、2006年のカージナルスに所属していた田口となっています。
② 2005年のホワイトソックス
井口が入団した当時、ホワイトソックスは1917年を最後に、ワールドシリーズ制覇から遠ざかっていました。
これは、「ブラックソックスの呪い」と呼ばれています。
しかし、井口の入団した2005年のホワイトソックスは、投打ともに戦力が充実しており、88年ぶりとなるワールドシリーズ制覇を成し遂げました。
以下の表は、当時のホワイトソックスの主な選手と、2005年の成績をまとめたものです。
選手 | ポジション | 2005年の成績 |
マーク・バーリ― | P | 16勝8敗、防御率3.12 |
ジョン・ガーランド | P | 18勝10敗、防御率3.50 |
ポール・コネルコ | 1B | 打率.283、40本塁打、OPS.909 |
井口資仁 | 2B | 打率.278、15本塁打、15盗塁 |
ジャーメイン・ダイ | RF | 打率.274、31本塁打、OPS.845 |
スコット・ポドセドニック | LF | 打率.290、59盗塁、OPS.700 |
当時のエースだったバーリーは、通算214勝を挙げただけでなく、2007年にノーヒットノーラン、2009年には完全試合を記録しました。
また、主砲のコネルコは、通算439本塁打を記録した強打者であり、ホワイトソックスで記録した432本塁打、1383打点は、球団史上2位の記録となっています。
なお、コネルコの背番号14とバーリーの背番号56は、それぞれ2015年と2017年に、ホワイトソックスの永久欠番に指定されました。
まとめ
- 井口は2005年にホワイトソックスに入団し、4年間にわたりメジャーリーグでプレーした。
- ホワイトソックスは2005年にワールドシリーズ制覇を果たしたため、井口はワールドシリーズに出場して優勝した初めての日本人選手となっている。
- 井口は主に2番打者として出場しており、3番打者以降に繋ぐ役割を担っていた。