メジャーリーグ

メジャーリーグを代表する5ツールプレーヤー、ケン・グリフィー・ジュニアの成績を紹介!

メジャーリーグでは、「ミート力」「長打力」「走力」「守備力」「送球能力」の5つにおいて優れた選手を、「5ツールプレーヤー」と呼びます。

5ツールプレーヤーは非常に稀で、日本球界では糸井嘉男や柳田悠岐、メジャーリーグではマイク・トラウトなどがその例です。

また、ウィリー・メイズやケン・グリフィー・ジュニアなど、過去に5ツールプレーヤーと呼ばれた選手の多くは、アメリカ野球殿堂入りを果たしています。

なかでも、グリフィーは本塁打王を4回、ゴールドグラブ賞を10回獲得するなど、1990年代を代表する5ツールプレーヤーとして、絶大な人気を誇りました。

今回の記事では、グリフィーの成績や活躍について解説します

ケン・グリフィー・ジュニアの活躍

グリフィーは1969年、ケン・グリフィー・シニアの長男として誕生しました。

当時、グリフィー・シニアは、シンシナティ・レッズに入団したばかりのマイナーリーガーでしたが、やがてグリフィー・シニアがメジャーリーグデビューを果たすと、家族でシンシナティに引っ越します。

1975年と1976年には、グリフィー・シニアの所属するレッズがワールドシリーズ連覇を成し遂げましたが、このときグリフィーは、レッズのクラブハウスにいたようです。

 

そんなグリフィーは、高校の野球部で打率.478、17本塁打という成績を残し、1987年のドラフトにて、全体1位でシアトル・マリナーズに入団しました。

入団した当初は、2世選手に対する強い風当たりに悩まされ、277錠のアスピリンを飲み込んで自殺を図ったことがありました。

幸い、グリフィーは一命をとりとめ、1988年にはマイナーリーグで打率.325、13本塁打、36盗塁という成績を残します。

そして、1989年4月3日、グリフィーは19歳4か月という若さでメジャーリーグデビューを果たし、初打席では二塁打を記録しました。

 

その後は安定した成績を残し、打率.264、16本塁打、16盗塁を記録しただけでなく、新人王投票では3位に入りました。

さらに、1990年には打率.300を残したうえ、守備でも活躍し、ゴールドグラブを初めて受賞しました。

なお、この年の8月29日に、まだ現役を続けていたグリフィー・シニアがマリナーズに入団し、9月14日には親子で2者連続の本塁打を記録しています。

 

その後もグリフィーは順調に成長を続け、1993年には球団新記録となる45本塁打を記録し、1994年には球団初となる本塁打王に輝きました。

なお、1993年には、メジャーリーグの最長記録に並ぶ8試合連続本塁打を達成しています。

 

1995年には守備で左手首を故障し、72試合の出場にとどまりますが、1996年には球団記録を更新する49本塁打を放ち、復活を遂げました。

さらに、1997年は、4月に13本塁打を放つなど開幕から好調を維持し、最終的に56本塁打を放ってMVPを初めて受賞しています。

そして、1998年には2年連続の56本塁打、史上3人目の50本塁打、20盗塁を記録したうえ、9月25日には史上最年少(28歳10か月)で通算350本塁打を記録しました。

 

ただ、同じ年にマーク・マグワイアが70本塁打、サミー・ソーサが66本塁打を記録していたため、グリフィーはあまり注目されなかったようです。

それでも、1999年には48本塁打を記録し、4度目の本塁打王に輝きました。

 

ところで、グリフィーは当時、フロリダ州のオーランドに住んでおり、近くに住むプロゴルファーのペイン・スチュワートとの親交を深めていました。

しかし、スチュワートが飛行機事故により亡くなると、グリフィーは、シアトルではなく家族の住むフロリダ州に近いチームでプレーしたいと考えるようになります。

その結果、グリフィーはトレードでレッズに移籍してしまいました。

レッズはかつてグリフィー・シニアがプレーしたチームであり、グリフィーの移籍により観客動員が50万人増加するなど、大きな盛り上がりを見せました。

 

移籍したばかりの2000年には40本塁打を放ち、史上最年少(30歳4か月)で400本塁打を達成しますが、この頃から故障に悩まされるようになります。

2001年に、足の故障により111試合の出場にとどまると、2002年には70試合、2003年には53試合、2004年には83試合と、試合数を大きく減らしてしまいました。

それでも、2004年の6月20日には、史上20人目となる500本塁打を記録しました。

2005年には128試合に出場し、35本塁打を記録してカムバック賞を獲得しています。

その後は安定して100試合以上に出場し、2008年6月9日に、史上6人目となる通算600本塁打を達成しました。

その後、トレードによりホワイトソックスに移籍し、シーズン後にはFAになりますが、古巣のマリナーズに復帰します。

2009年には主に指名打者として出場し、19本塁打を記録しますが、2010年は開幕から不振に陥り、6月2日に引退を表明しました。

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引退後のグリフィー

引退後、グリフィーは現役時代の活躍が評価され、コミッショナー特別表彰を受けます。

このとき、メジャーリーグのコミッショナー、バド・セリグは、グリフィーを「世界に於ける最高の野球大使」と称賛しています。

ところで、バリー・ボンズやマグワイア、ソーサなどグリフィーと同じ90年代に活躍した強打者の多くは、禁止薬物であるステロイドを使用していたとされています。

しかし、グリフィーは薬物問題とは無縁であり、その点は非常に高く評価されていました。

その結果、2016年には、当時の史上最高となる99.3%の得票率で、アメリカ野球殿堂入りを果たしました。

さらに、マリナーズがグリフィーの背番号24を永久欠番に指定しています。

グリフィーのプレースタイル

グリフィーはメジャーリーグを代表する5ツールプレーヤーであり、本塁打を4回、シルバースラッガー賞を7回獲得しただけでなく、ゴールドグラブ賞を10回獲得しており、通算184盗塁も記録しています。

特に、グリフィーの滑らかなスイングは、「メジャーリーグ史上最も美しい」と言われていました。

また、守備でも多くの好プレーを残しています。

ただ、当時のマリナーズの本拠地(キングドーム)は人工芝の球場であり、グリフィーはこの人工芝の上で長らくプレーしていたため、レッズ移籍後に故障に苦しむようになったという意見もあるようです。

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グリフィーの年度別成績

年度 チーム 試合 安打 本塁打 打点 四球 打率 OPS
1989 SEA 127 120 16 61 44 .264 .748
1990 SEA 155 179 22 80 63 .300 .847
1991 SEA 154 179 22 100 71 .327 .926
1992 SEA 142 174 27 103 44 .308 .896
1993 SEA 156 180 45 109 96 .309 1.025
1994 SEA 111 140 40 90 56 .323 1.076
1995 SEA 72 67 17 42 52 .258 .860
1996 SEA 140 165 49 140 78 .303 1.020
1997 SEA 157 185 56 147 76 .304 1.028
1998 SEA 161 180 56 146 76 .284 .977
1999 SEA 160 173 48 134 91 .285 .960
2000 CIN 145 141 40 118 94 .271 .942
2001 CIN 111 104 22 65 44 .286 .898
2002 CIN 70 52 8 23 28 .264 .784
2003 CIN 53 41 13 26 27 .247 .936
2004 CIN 83 76 20 60 44 .253 .864
2005 CIN 128 148 35 92 54 .301 .946
2006 CIN 109 108 27 72 39 .252 .802
2007 CIN 144 146 30 93 85 .277 .869
2008 CIN/CHW 143 122 18 71 78 .249 .778
2009 SEA 117 83 19 57 63 .214 .735
2010 SEA 33 18 0 7 9 .184 .454
通算 22年 2671 2781 630 1836 1312 .284 .907
  • SEA:シアトル・マリナーズ
  • CIN:シンシナティ・レッズ
  • CHW:シカゴ・ホワイトソックス

各年度の太字はリーグ最高

グリフィーにまつわるエピソード

① グリフィー・シニアの活躍

グリフィーの父、グリフィー・シニアも、メジャーリーグで長らく活躍した外野手でした。

主にレッズやニューヨーク・ヤンキースでプレーし、通算2143安打、打率.296を記録しています。

また、1975年と1976年には、「ビッグレッドマシン」と呼ばれたレッズの打線の一角を担い、ワールドシリーズ連覇に貢献しました。

下の動画は、グリフィー・シニアがヤンキース時代に、ホームランキャッチを成し遂げたときのものです。

② イタズラ好き

グリフィーはイタズラ好きとして知られています。

1995年の春季キャンプにて、グリフィーは当時のルー・ピネラ監督との賭けに敗れ、ピネラにステーキを奢ることになりました。

そこで、グリフィーは監督がいないときに、監督室に牛1頭を連れて行き、そのまま放置してしまいました。

その後、監督は異臭に満ちた監督室に戻り、イタズラに気づいて顔を真っ赤にして悔しがったそうです。

③ イチローとの関係

イチローはグリフィーを憧れの選手と慕っており、2009~2010年には、マリナーズでチームメイトとしてプレーしています。

そのとき、イチローはグリフィーについて「ジュニア(グリフィーのニックネーム)の存在は計り知れない」と、グリフィーに感謝していました。

なお、グリフィーは、イチローをくすぐることを日課としていたようです。

下の動画は、そんなグリフィーとイチローの仲の良さが、よくわかる動画です。

④ 通算本塁打数

グリフィーの通算本塁打数は630本であり、これはメジャーリーグ史上7位にあたります。

しかし、史上最年少で350本塁打、400本塁打を記録しており、メジャーリーグの通算本塁打記録の更新を期待されていた時期もありました。

そこで、メジャーリーグの通算本塁打数トップ7の選手の、年代ごとの本塁打数をまとめてみました。

順位 選手 通算本塁打数 10代 20代 30代 40代
1 バリー・ボンズ 762 0 253 430 79
2 ハンク・アーロン 755 0 342 371 42
3 ベーブ・ルース 714 0 284 424 6
4 アレックス・ロドリゲス 696 3 406 268 19
5 ウィリー・メイズ 660 0 285 348 27
6 アルバート・プホルス 656 0 366 290
7 ケン・グリフィー・ジュニア 630 16 382 232 0

(プホルスは現役で、2020年5月1日時点で40歳)

 

以上のように、20代まではボンズやアーロンよりもハイペースに本塁打を記録していましたが、30代からは故障によりペースが落ちてしまいました。

通算本塁打記録を更新するためには、長期間にわたり本塁打を量産する必要があり、非常に難しいことだといえます。

 

まとめ

ケン・グリフィー・ジュニア
  • グリフィーはメジャーリーグを代表する5ツールプレーヤーで、通算630本塁打を記録しただけでなく、ゴールドグラブを10回受賞した。
  • 特に、マリナーズ時代は8試合連続本塁打、2年連続56本塁打、史上最年少の350本塁打などの実績を残し、背番号24はマリナーズの永久欠番に指定されている。
  • 引退後にはコミッショナー特別表彰を受けただけでなく、当時の史上最高となる99.3%の得票率で、アメリカ野球殿堂入りを果たした。
  • イタズラ好きとして知られており、イチローはグリフィーを憧れの選手と慕っている。



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