2019年に引退したイチローは、メジャーリーグ通算で打率.311、3089安打、509盗塁を記録しています。
イチローのように、生涯打率.300、3000安打、500盗塁を記録している選手は、メジャーリーグでは5人しかいません。
さらに、この5人のうち、1930年以降にプレーした選手は、イチローともう1人しかいません。
そのもう1人とは、1980年代から90年代にかけて、メジャーリーグを代表する1番打者として活躍した、ポール・モリターです。
今回の記事では、モリターの成績や活躍について解説します。
ポール・モリターの活躍
モリターは1956年にミネソタ州で誕生し、1977年のドラフトにて、3巡目でミルウォーキー・ブルワーズに指名されて入団しました。
モリターは入団してすぐにマイナーリーグでプレーを始め、打率.346とすぐに活躍します。
すると、1978年にはメジャーリーグの開幕ロースターに入り、メジャーリーグデビューを果たしました。
当初、故障しているロビン・ヨーントの代役として、モリターは遊撃手で出場していましたが、ヨーントが復帰すると二塁手に転向します。
それでも、モリターは打率.273、30盗塁を記録し、新人王投票では2位に食い込みました。
その後、1979年には打率.322、1980年には打率.304を記録してオールスターゲームに初選出するなど、徐々に頭角を現していきます。
しかし、1981年には故障の影響で64試合の出場にとどまり、打率も.267と低迷してしまいました。
さらに、この頃のモリターは麻薬の悪癖にも悩まされていたようです。
それでも、モリターはこの悪癖を克服し、1982年には自己最多となる201安打、19本塁打、41盗塁を記録して、ブルワーズの地区優勝に貢献しました。
なお、この年のリーグチャンピオンシップシリーズでは、ランニングホームランを記録しています。
しかし、1983年に打率.270と成績を落とすと、1984年には肘の故障で13試合の出場にとどまるなど、モリターは故障や不振に悩まされます。
それでも、1985年には打率.297を残してオールスターゲームに選出されるなど、少しずつ復活を遂げています。
そして、1987年にはリーグ2位となる打率.353、45盗塁を記録し、初めてシルバースラッガーを受賞しただけでなく、MVP投票では5位に入りました。
なお、モリターはこの年に39試合連続安打を記録しています。
その後、モリターの成績は安定し、1988年には打率.312、1989年には打率.315を記録しただけでなく、1991年には打率.325を記録して、リーグ最多となる216安打を放ちました。
さらに、1992年には打率.320を記録し、シーズン終了後にはFAとなりました。
当初、モリターはブルワーズに残留することを希望していましたが、ブルワーズが1年契約しか提示しなかったのに対し、トロント・ブルージェイズが3年契約を提示したため、ブルージェイズと契約します。
移籍1年目となった1993年には、打率.332、自己最多となる22本塁打を記録し、ブルージェイズのワールドシリーズ制覇に貢献しました。
特に、モリターはワールドシリーズの第6戦で3安打を記録するなど活躍し、ワールドシリーズMVPに輝いています。
しかし、ブルージェイズとの契約最終年となった1995年には打率.270と低迷してしまいました。
その後、モリターは故郷のミネソタ・ツインズと契約を結びます。
1996年には復活を遂げ、打率.341、225安打を記録しただけでなく、通算3000安打にも達成しました。
なお、三塁打で3000安打を記録したのはモリターが初でした(2016年には、イチローが史上2人目となる三塁打での3000安打を記録しています)。
1998年には通算500盗塁を達成し、打率.281とまずまずの成績を残しましたが、現役を引退しました。
引退後のモリター
現役引退した1年後、モリターの背番号4がブルワーズの永久欠番に指定されました。
また、2004年にはアメリカ野球殿堂入りを果たしています。
その一方で、モリターは現役引退後も、コーチとしてメジャーリーグに携わっていました。
2015年にはツインズの監督に就任し、低迷していたチームを勝ち越しに導いたことから、最優秀監督賞の投票で3位に入りました。
さらに、2017年にはチームを7年ぶりのプレーオフに導いたことから、最優秀監督賞を受賞しています。
下の動画は、ツインズがプレーオフ進出を決め、シャンパンファイトを行っているときの、モリターのインタビューです。
しかし、2018年にはプレーオフ進出を逃したため、監督を退任しました。
モリターの監督としての通算成績は305勝343敗となっています。
モリターのプレースタイル
モリターはバットコントロールを武器としていましたが、長打力も併せ持っていました。
また、スピードと走塁技術も高く、通算で504盗塁を記録しています。
下の動画は、モリターがブルワーズ時代に、1イニング3盗塁を記録したときのものです。
また、モリターは現役を通して主に1番打者として活躍したため、「イグナイター(The Ignitor)」というニックネームを持っていました。
さらに、モリターは生涯打率.300、3000安打、200本塁打、500盗塁を達成していますが、これはメジャーリーグ史上、モリターしか達成していません。
一方で、守備は平凡であり、ブルージェイズ時代やツインズ時代は指名打者として出場することが多かったようです。
モリターの年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 打率 | OPS |
1978 | MIL | 125 | 142 | 6 | 45 | 19 | .273 | .673 |
1979 | MIL | 140 | 188 | 9 | 62 | 48 | .322 | .842 |
1980 | MIL | 111 | 137 | 9 | 37 | 48 | .304 | .809 |
1981 | MIL | 64 | 67 | 2 | 19 | 25 | .267 | .675 |
1982 | MIL | 160 | 201 | 19 | 71 | 69 | .302 | .816 |
1983 | MIL | 152 | 164 | 15 | 47 | 59 | .270 | .743 |
1984 | MIL | 13 | 10 | 0 | 6 | 2 | .217 | .484 |
1985 | MIL | 140 | 171 | 10 | 48 | 54 | .297 | .764 |
1986 | MIL | 105 | 123 | 9 | 55 | 40 | .281 | .765 |
1987 | MIL | 118 | 164 | 16 | 75 | 69 | .353 | 1.003 |
1988 | MIL | 154 | 190 | 13 | 60 | 71 | .312 | .836 |
1989 | MIL | 155 | 194 | 11 | 56 | 64 | .315 | .818 |
1990 | MIL | 103 | 119 | 12 | 45 | 37 | .285 | .807 |
1991 | MIL | 158 | 216 | 17 | 75 | 77 | .325 | .888 |
1992 | MIL | 158 | 195 | 12 | 89 | 73 | .320 | .851 |
1993 | TOR | 160 | 211 | 22 | 111 | 77 | .332 | .911 |
1994 | TOR | 115 | 155 | 14 | 75 | 55 | .341 | .927 |
1995 | TOR | 130 | 142 | 15 | 60 | 61 | .270 | .772 |
1996 | MIN | 161 | 225 | 9 | 113 | 56 | .341 | .858 |
1997 | MIN | 135 | 164 | 10 | 89 | 45 | .305 | .786 |
1998 | MIN | 126 | 141 | 4 | 69 | 45 | .281 | .718 |
通算 | 21年 | 2683 | 3319 | 234 | 1307 | 1094 | .306 | .817 |
- MIL:ミルウォーキー・ブルワーズ
- TOR:トロント・ブルージェイズ
- MIN:ミネソタ・ツインズ
各年度の太字はリーグ最高
モリターにまつわるエピソード
① ハーベイズ・ウォールバンガーズ
モリターがブルワーズで活躍した1982年、ブルワーズはチーム史上初のワールドシリーズ進出を果たしています。
下の動画は、ブルワーズがワールドシリーズ進出を決めたときのものです。
このとき、ブルワーズの監督がハーベイ・キーンという名前だったことから、ブルワーズはハーベイズ・ウォールバンガーズ(Harvey’s Wallbangers)と呼ばれていました。
なお、このニックネームの由来は、ハーベイ・ウォールバンガーというカクテルです。
また、当時のブルワーズには、モリター以外にも多くの強打者が揃っていました。
選手 | ポジション | 本塁打 | 打点 | 打率 | OPS |
テッド・シモンズ | C | 23 | 97 | .269 | .759 |
セシル・クーパー | 1B | 32 | 121 | .313 | .870 |
ロビン・ヨーント | SS | 29 | 114 | .331 | .957 |
ポール・モリター | 3B | 19 | 71 | .302 | .816 |
ベン・オグリビー | LF | 34 | 102 | .244 | .780 |
ゴーマン・トーマス | CF | 39 | 112 | .245 | .850 |
この打線の中では、モリターだけでなく、ヨーントも通算3000安打を達成しています。
また、シモンズも好打の捕手として通算2472安打を記録し、2020年にアメリカ野球殿堂入りを果たしました。
② モリターと首位打者
モリターは生涯打率.306を記録し、打率.320以上を7回記録していますが、首位打者は1度も獲得したことがありません。
下の表のように、打率.320以上を記録しても、その年の首位打者争いがハイレベルだったため、首位打者を逃しているようです。
年 | モリターの打率 | 首位打者 |
1979 | .322 | フレッド・リン(.333) |
1987 | .353 | ウェイド・ボッグス(.363) |
1991 | .325 | フリオ・フランコ(.341) |
1992 | .320 | エドガー・マルティネス(.343) |
1993 | .332 | ジョン・オルルド(.363) |
1994 | .341 | ポール・オニール(.359) |
1996 | .341 | アレックス・ロドリゲス(.358) |
しかし、モリターが初めて打率.320以上を記録したのは1979年であり、最後に記録したのは1996年でした。
このように、長期間にわたり活躍したことから、通算3319安打を記録することができたといえます。
まとめ
- モリターはメジャーリーグを代表する1番打者であり、通算3319安打、504盗塁を記録した。
- モリターは引退後、ツインズの監督として最優秀監督賞を獲得している。
- モリターはバットコントロール、長打力、スピード、走塁技術を兼ね備えており、「イグナイター」というニックネームを持っていた。
- モリターが活躍した1982年のブルワーズは、ハーベイ・ウォールバンガーズと呼ばれていた。