メジャーリーグ

メジャーリーグを代表する抑え投手、マリアノ・リベラの成績を紹介!

2018年、中日ドラゴンズの岩瀬仁紀が日本球界史上初の通算1000登板を達成し、引退しました。

岩瀬は日本球界を代表する抑え投手であり、岩瀬が記録した通算407セーブは日本球界の最多記録になっています。

一方で、メジャーリーグのセーブの最多記録は、マリアノ・リベラという投手が保持しており、通算652セーブという圧倒的なものです。

リベラはニューヨーク・ヤンキースに長く所属しており、伊良部秀樹や松井秀喜、イチローとチームメートだったこともあるため、リベラの名前を聞いたことがある方は多いかと思います。

今回の記事では、リベラの成績や活躍について解説します。

リベラの活躍、積み上げたセーブは652!

 

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リベラは、パナマ運河で知られるパナマシティで誕生しました。

パナマはメジャーリーグのドラフトの対象外であるため、1990年にドラフト外でヤンキースに入団します。

 

故障に悩まされた時期はありましたが、順調に成長し、1995年に先発投手としてメジャーリーグデビューを果たしました。

しかし、先発投手としては好成績を残すことができず、スタミナに不安があったため、リリーバーに転向します。

すると、1996年にはリリーバーとして防御率2.09を記録し、ヤンキースのワールドシリーズ制覇に貢献しました。

ただ、当時のヤンキースでは、通算330セーブを記録したジョン・ウェッテランドが抑えを務めており、リベラは5セーブしか挙げられませんでした。

 

しかし、翌年にウェッテランドがテキサス・レンジャーズに移籍したため、ついに抑え投手に昇格します。

その結果、リーグ2位となる43セーブを記録し、抑え投手として頭角を現しました。

さらに、1999年には45セーブを挙げて最多セーブに輝き、2001年には球団史上初の50セーブを挙げて再び最多セーブに輝くなど、メジャーリーグを代表する抑え投手になっていきました。

 

特に、2003年から2011年にかけて9年連続で30セーブ以上を記録し、そのうち2007年を除く8年で防御率1点台を記録するなど、圧巻の投球を続けていました。

その結果、2006年には通算400セーブ、2009年には通算500セーブ、2011年には通算600セーブと順調にセーブを積み重ね、2011年9月19日には、通算601セーブを記録したトレバー・ホフマンを抜く602セーブ目を挙げました。

 

その後、2012年を最後に引退することを示唆しましたが、5月3日の試合前の練習にて右膝を負傷し、長期離脱したため、5セーブに終わってしまいます。

そこで、リベラは「このままでは引退できない」と考え、2013年もプレーすることを決意しました。

その結果、44セーブ、防御率2.11と衰えを見せない成績を残し、通算セーブを652まで伸ばして引退しました。

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リベラの投球スタイル「電動ノコギリ」のカットボール

長い間メジャーリーグを代表する抑え投手として活躍したリベラは、「電動ノコギリ」と形容されるカットボールを武器としていました。

 

リベラの投球は8割以上がカットボールとされており、リベラのカットボールは打者の手元で鋭く変化するため、バットの芯を外すことに長けていました。

そのため、リベラは非常に被本塁打が少ないことで知られています。

そのうえ、制球力や守備力も高かったため、メジャーリーグを代表する抑え投手として活躍することができたといえます。

リベラの年度別成績

年度 チーム 勝利 敗戦 登板 セーブ 与四球 奪三振 防御率
1995 NYY 5 3 19 0 30 51 5.51
1996 NYY 8 3 61 5 34 130 2.09
1997 NYY 6 4 66 43 20 68 1.88
1998 NYY 3 0 54 36 17 36 1.91
1999 NYY 4 3 66 45 18 52 1.83
2000 NYY 7 4 66 36 25 58 2.85
2001 NYY 4 6 71 50 12 83 2.34
2002 NYY 1 4 45 28 11 41 2.74
2003 NYY 5 2 64 40 10 63 1.66
2004 NYY 4 2 74 53 20 66 1.94
2005 NYY 7 4 71 43 18 80 1.38
2006 NYY 5 5 63 34 11 55 1.80
2007 NYY 3 4 67 30 12 74 3.15
2008 NYY 6 5 64 39 6 77 1.40
2009 NYY 3 3 66 44 12 72 1.76
2010 NYY 3 3 61 33 11 45 1.80
2011 NYY 1 2 64 44 8 60 1.91
2012 NYY 1 1 9 5 2 8 2.16
2013 NYY 6 2 64 44 9 54 2.11
通算 19年 82 60 1115 652 286 1173 2.21
  • NYY:ニューヨーク・ヤンキース
  • 各年度の太字はリーグ最高

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リベラにまつわるエピソード

① プレーオフのリベラ

リベラはプレーオフに非常に強いことで知られており、ヤンキースのワールドシリーズ制覇に5度貢献しました。

黄金時代のヤンキースに所属していたこともあり、プレーオフ通算96登板、42セーブは史上最多となっています。

また、プレーオフ通算の防御率は0.70と圧倒的であり、大舞台に強い抑え投手でした。

下の動画は、2000年のワールドシリーズの最終戦でセーブを挙げたときのものです。

 

② Core 4の1人として

リベラは1995年から2013年までヤンキースでプレーしましたが、この時代はヤンキースの黄金時代であり、5度ワールドシリーズを制覇しています。

この黄金時代にプレーした主な選手として、リベラの他に、デレク・ジーター(遊撃手、1995~2014年)、アンディ・ペティット(先発投手、1995~2003・2007~2010・2012~2013年)、ホルヘ・ポサダ(捕手、1995~2011年)が挙げられます。

リベラを含むこの4人は、「Core 4」と呼ばれ、ヤンキースの黄金時代の象徴となっています。

リベラの現役最後の登板では、Core 4のうちの2人であるジーターとペティットがリベラに降板を告げにマウンドに向かいました。

 

③ 最後の背番号42

リベラが抑え投手として定着し始めたばかりの1997年、人種差別の壁を打ち破ったジャッキー・ロビンソンを称え、ロビンソンの背番号42が全球団共通の背番号となりました。

しかし、もともと背番号42をつけていた選手は、引退まで背番号42を使用することが許可されました。

そのような選手として、最も長くプレーしたのはリベラであり、リベラは「メジャーリーグで最後に背番号42をつけてプレーした選手」といえます。

なお、ヤンキースはリベラの引退後、「ロビンソンの背番号」として永久欠番になっていた背番号42を、「リベラの背番号」として再度永久欠番に指定しています。

④ 野球殿堂へ

リベラは2019年に、アメリカ野球殿堂入りを果たしました。

野球殿堂に入るためには、記者による投票で、75%以上の票を得る必要があります。

リベラはこの75%を超えただけでなく、史上初の得票率100%で野球殿堂入りを果たしました。

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⑤ リベラの前のセーブ記録

先ほど触れましたが、リベラの前にメジャーリーグの最多セーブ記録(601セーブ)を持っていたのは、ホフマンという抑え投手でした。

ホフマンがプレーしたのは1993~2010年であり、主にサンディエゴ・パドレスやミルウォーキー・ブルワーズといったナショナルリーグのチームで活躍しました。

下の動画は、ホフマンが史上初の600セーブを記録したときのものです。

 

2014年には、リベラとホフマンの功績を称え、「マリアノ・リベラ アメリカンリーグ最優秀救援投手賞」と「トレバー・ホフマン ナショナルリーグ最優秀救援投手賞」という賞が設立されました。

なお、ホフマンも2018年に野球殿堂入りを果たしています。

まとめ!

マリアノリベラまとめ!
  • リベラはメジャーリーグを代表する抑え投手としてヤンキースで活躍し、通算652セーブを挙げた。
  • リベラの武器は「電動ノコギリ」と呼ばれるカットボールであり、バットの芯を外すことに長けていた。
  • リベラはプレーオフに強く、ヤンキースのワールドシリーズ制覇に5回貢献した。
  • リベラは史上初めて、得票率100%で野球殿堂入りを果たした。

 



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