松井秀喜やイチロー、黒田博樹など、ニューヨーク・ヤンキースでは、今まで多くの日本人選手が活躍してきました。
これらの選手に関する報道では、よく「ヤンキースのキャプテン」としてデレク・ジーターの名前を耳にすることがありました。
ジーターは1995年から2014年まで、20年にわたりヤンキースでプレーし、メジャーリーグを代表するスターとして活躍しました。
今回の記事では、ジーターの活躍や人物像などについて解説します。
ジーターの活躍、成績など
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ジーターがヤンキースに入団したのは1992年のことであり、ドラフトでは全体6位という高い順位で指名されました。
当時のジーターはまだ高校卒業直後であり、守備を苦手としていましたが、徹底的な守備練習により、克服することができました。
1994年にはマイナーリーグにて打率.344を記録し、ヤンキース期待の若手となる。
そして、1995年5月29日に、ジーターはわずか20歳でメジャーリーグデビューを果たしました。
この年は15試合の出場にとどまりましたが、1996年にはショートのレギュラーに定着し、183安打、打率.314を記録して新人王に輝きます。
それと同時にヤンキースは躍進し、18年ぶりとなるワールドチャンピオンに輝きました。
1998年には打率.324、203安打を記録し、MVP投票では3位に食い込むなど、メジャーリーグを代表するスターに成長します。
一方で、ヤンキースは1998年から2000年まで、ワールドシリーズを3連覇という黄金時代に突入しました。
2003年には名誉職であるヤンキースのキャプテンに就任し、2005年から2009年まで5年連続で打率.300を超えるなど、メジャーリーグの歴史に残る選手へとなっていきます。
そして、2009年にはヤンキースの球団記録となる2722安打、2011年には3000安打を記録しました。
2014年9月28日の試合を最後に引退しますが、このときメジャーリーグへの多大な功績に対し、コミッショナー特別表彰を受けました。
通算成績は打率.310、260本塁打、358盗塁であり、3465安打は歴代6位(遊撃手としては歴代1位)というものでした。
また、シルバースラッガー賞とゴールドグラブ賞を5回ずつ受賞し、オールスターゲームには14回選出されるなど、時代を代表する遊撃手だったといえます。
さらに、プレーオフに通算で158試合出場し、111得点、200安打、32二塁打は歴代最多となっています。
ジーターの名場面といえば
以上のように、メジャーリーグの歴史に残る成績を残したジーターですが、数々の名場面の残したことでも知られています。
ここでは、その名場面を紹介します。
① The Flip
2001年のALDSの第3戦にて、オークランド・アスレチックスを相手にジーターが見せたプレーです。
あわや同点という場面で、機転を利かせたジーターが右翼手の送球を拾い、捕手へとトスしてピンチを乗り切りました。
まさに、ジーターの判断力の高さを示すプレーといえます。
② The Dive
2004年7月1日のボストン・レッドソックス戦にてジーターが見せたプレーです。
怪我を恐れずに観客席に飛び込んだことから、ジーターの試合に対する情熱をうかがうことができます。
③ 3000安打を本塁打で記録
2011年7月9日のタンパベイ・レイズ戦にて、ジーターはついに通算3000安打を本塁打で記録しました。
3000安打目が本塁打という記録は、史上2人目というものでした。
④ 現役最後の打席
2014年9月28日のボルチモア・オリオールズ戦は、ジーターにとって現役最後の試合でした。
その試合の最後の打席で、ジーターはサヨナラヒットを放ちました。
まさに、ジーターの勝負強さが表れた試合だといえます。
ジーターの人物像
ジーターは高いリーダーシップを持っていることで知られています。
ヤンキースで長らく監督を務めたジョー・トーリは、ジーターについて「新人時代、どうしたらこんな人間ができるのかと思った。最初から言うべきことがあまりなかった。」と言っています。
また、ジーターは個人成績にこだわっておらず、以下のような名言を残しています。
「偉大な選手たちの記録を抜くのはとても名誉なことだが、自分が選手として最も大切にしているのは、与えられた役割を果たし、チームの勝利に貢献すること。それに勝るものはない。記録はあくまでも結果に過ぎない。」
以上のことから、松井秀喜やイチローをはじめとするチームメートから、非常に慕われていたようです。
一方で、ジーターは甘いマスクから非常に人気があり、女性関係の話題でよく世間を騒がせていました。
ジーターは現役を通して独身でしたが、2016年7月9日にファッションモデルのハンナ・デービスと結婚式を挙げています。
ジーターにまつわるエピソード
ここでは、ジーターにまつわるちょっとしたエピソードを紹介します。
① 評価の割れる守備
先述のように、ジーターは守備で多くの名場面を残しています。
さらには、ゴールドグラブを5回受賞しており、ジーターの守備力、特にグラブ捌きは高い評価を受けていました。
しかし、セイバーメトリクスによる指標が導入されるようになると、守備範囲の狭さが明らかになり、守備の評価は割れるようになりました。
特に、2006年から2008年の間に記録したプラス・マイナス・システム(守備の指標の1つ)は遊撃手最下位となっており、ゴールドグラブ受賞に疑問を呈する声もありました。
② 背番号2
ジーターは背番号2を付けていたことよく知られており、これは2016年12月6日に永久欠番に指定されました。
なお、これによりヤンキースの1桁の背番号は、全て永久欠番になってしまいました。
背番号 | 選手(ヤンキースに在籍した期間) |
1 | ビリー・マーチン(1950~1953、1955~1957、監督として1975~1979) |
2 | デレク・ジーター(1995~2014) |
3 | ベーブ・ルース(1920~1934) |
4 | ルー・ゲーリッグ(1923~1939) |
5 | ジョー・ディマジオ(1936~1942、1946~1951) |
6 | ジョー・トーリ(監督として1996~2007) |
7 | ミッキー・マントル(1951~1968) |
8 | ビル・ディッキー(1928~1946)
ヨギ・ベラ(1946~1963) |
9 | ロジャー・マリス(1960~1966) |
③ レッドソックスのジーター
2020年2月10日のトレードで、ロサンゼルス・ドジャースからレッドソックスに、ジーター・ダウンズという選手が移籍しました。
この選手と「ジーター」という名前は、まさにデレク・ジーターからとったものです。
移籍した先がヤンキースのライバルであるレッドソックスであったことから、移籍は大きな話題となりました。
引退後のジーター
2014年を最後に引退したジーターは、実業家であるブルース・シャーマンとともに、メジャーリーグのチームの1つであるマイアミ・マーリンズを買収し、オーナーとなりました。
オーナーに就任してからは、年俸を削減してチームを再建する方針を打ち出し、ジャンカルロ・スタントンやクリスチャン・イェリッチら主力選手を一気に放出しました。
この方針は大きな批判を受け、チームは2018年、2019年と2年連続で地区最下位に沈んでいます。
しかし、その一方で、マーリンズのマイナーでは、徐々に有望な若手が育ちつつあります。
今後、ジーターがどのようなチームを築いていくか注目です。
まとめ!
- ジーターはヤンキースの遊撃手としてメジャーリーグを代表するスターとなり、歴代6位となる3465安打を記録した。
- ジーターは守備を中心に様々な名場面を残している。
- ジーターのリーダーシップは高い評価を受けており、チームメートから慕われていた。
- 引退後はマイアミ・マーリンズのオーナーに就任している。