甲子園で活躍した選手

【松坂大輔】甲子園での成績、エピソードを紹介!一時代を築いた怪物伝説!

「松坂世代」

主にプロ野球などの話題で使われる言葉だが、昭和55年生まれの総称として広く世間に知れ渡っている言葉です。野球に携わったことない同学年の方々も一度は使ったことがあるのではないでしょうか。

 

そんな松坂世代の張本人である松坂大輔とはどんな選手だったのでしょうか。

プロ入り後の活躍を含めて、彼の高校時代について紹介していきます。

埼玉西武ライオンズ入団~大リーグ~国内復帰

1998年のドラフト会議。

松坂は大の巨人ファンであったが、巨人は当時のドラフトで採用されていた逆指名制度で上原浩治と二岡智弘を指名。そのため松坂は横浜への入団を強く希望し、他の球団であった場合には社会人野球入りを宣言していました。

横浜・西武・日本ハムの3球団から1位指名を受けた松坂の独占交渉権を獲得したのは埼玉西武ライオンズ。当初の予定通りなら社会人野球入りとなるところでしたが、交渉の結果、松坂は西武入りを決断。プロ野球入りを果たします。

 

プロ入り1年目の4月7日の日本ハム戦でプロ入り初先発初勝利を飾り、その後も勝ち星を重ねた松坂は16勝5敗の成績を残し、最多勝利、新人賞、ゴールデングラブ賞、高卒新人としては初となるベストナインを受賞する。

2年目以降も3年連続で最多勝利の成績を残し、大リーグへ移籍するまでの間に、最多勝利3回、最優秀防御率2回、最多奪三振4回、ゴールデングラブ賞7回、ベストナイン3回、2001年には沢村賞を受賞し、国内のタイトルを総なめしている。

 

2006年のオフにはポスティングシステムの行使が容認され、大リーグのボストン・レッドソックスに入団することになる。なお、この時に入札に参加したのはレッドソックス以外にもニューヨーク・メッツ、ニューヨーク・ヤンキース、テキサス・レンジャーズと報じられました。また、最終的に交渉権を獲得したレッドソックスの入札金額は当時のレートで約60億円と発表されました。

 

メジャーでも初先発初勝利を挙げた松坂は、その年に15勝を挙げチームも地区優勝を果たしました。チームはポストシーズンも勝ち上がりワールドシリーズへ進出。松坂はここでも先発し、日本人として初となるワールドシリーズでの勝ち投手となったのです。

2014年からメッツに在籍していた松坂は、その年のオフにフリーエージェントとなり、福岡ソフトバンクホークスと契約。国内へ復帰することとなりました。

 

福岡ソフトバンクホークスへ入団した松坂は2017年シーズンまでの3年間で一軍登板したのはたったの1試合。引退・独立リーグへの参戦・台湾プロ野球への入団など様々な報道がなされたが、西武時代の松坂をコーチとして知る森繁和が監督を務める中日ドラゴンズが入団テストを実施。テストに合格した松坂は中日ドラゴンズと契約し、6勝4敗の成績を残すとともにカムバック賞を受賞している。

 

国内(埼玉西武ライオンズ~福岡ソフトバンクホークス~中日ドラゴンズ)での成績

※2019年9月20日現在

防御率 勝利 敗戦 セーブ 奪三振
3.04 114 65 1 1410

 

メジャーでの成績

防御率 勝利 敗戦 セーブ 奪三振
4.45 56 43 1 720

国内では数々のタイトルを受賞し、大リーグでもワールドシリーズ制覇に貢献した松坂大輔。そんな松坂の高校時代について取り上げていきます。

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高校時代の松坂大輔(横浜高校)

松坂は東京都江東区の出身。

数多くのプロ野球選手を輩出し甲子園常連校でもある横浜高校に入学。

 

実は松坂は中学時代に帝京高校への入学がほぼ決まっていた過去があります。

東京出身でシニア時代の総監督が当時の帝京高校の前田監督と知り合いであったということと、松坂自身が「甲子園出場に近い高校」を望んでいたため入学は確実視されていました。しかし、後にバッテリーを組むこととなる小山良男との出会いなど紆余曲折を経て横浜高校へ入学することとなります。

 

3年時の輝かしい成績の前に、松坂を大きく変えた1敗があります。

1997年夏の神奈川県大会決勝、横浜商業戦。

松坂はエースナンバー「1」を付け、9回表を終え2-1と1点リードで最終回を迎えます。

ここまでの疲労などから連打を浴び同点となりなおも1アウト3塁の場面。

スクイズも考えられる場面で外した1球目のボールが大きく反れてしまいサヨナラ暴投。

 

もともと松坂は大の練習嫌いで「さぼりの松」と呼ばれていました。しかし、このサヨナラ暴投をきっかけに死に物狂いで練習に打ち込むようになるのです。

挫折から栄光へ

最上級生となった松坂擁する横浜高校は、第70回記念選抜高等学校野球大会を制し、春夏連覇を目指して夏の大会に挑むことになります。

 

迎えた第80回全国高等学校野球選手権記念大会の予選である東神奈川大会。この大会は80回の記念大会となるため、神奈川県は東西に分かれ2校が代表校となる大会でした。

選抜を制した横浜高校は、東神奈川大会を危なげなく制し甲子園出場を果たします。

延長17回の死闘!PL学園戦

初戦の柳川高校戦、2回戦では杉内俊哉を擁する鹿児島実業、3回戦の星稜高校戦と勝ち進んだ横浜高校は準々決勝でPL学園と対戦します。

両チームは春の選抜でも準決勝で対戦しており、その時は終盤までPL学園が2点をリードするも8回に横浜が同点に追いつき、9回に1点を追加した横浜が3-2で勝利しています。

 

試合は延長17回に横浜高校が常盤選手のツーランホームランでPL学園を突き放し勝利。松坂は9回までに5失点を喫し、延長後も2度突き放しては追いつかれる展開ながらも250球を投げ切りました。

絶体絶命からの奇跡の逆転勝利!明徳義塾戦

連投の疲れから松坂は先発ではなく4番レフトでの出場。

試合は8回表を終わって明徳義塾が6点をリードし、横浜高校の攻撃は残り2回のみ。打線も無得点だったため、当時の横浜高校の渡辺監督も8回裏の攻撃時に「残り2イニングでひっくり返すのは難しい。もう後はお前たちの好きなように思いっきり甲子園を楽しんでみろ!」と告げるほどの状況でした。

横浜高校の驚異の粘りとともに、明徳義塾の並々ならぬ打倒横浜高校への熱意が試合後の姿に表れていますね。

松坂劇場最終章!決勝戦ノーヒットノーラン、京都成章戦

準々決勝、準決勝と激戦を繰り広げてきた横浜高校。

そんな横浜高校にとって決勝戦は春夏連覇を果たす大事な一戦。

先発した松坂は立ち上がりこそ球が浮つくも回を追うごとに球威を増し、鉄壁の守備陣の助けもあって四死球3つと振り逃げのランナーを出したのみでノーヒットノーランを達成。

決勝戦でのノーヒットノーランは史上2人目の快挙で、横浜高校初の春夏連覇に花を添えました。

【松坂大輔】甲子園での成績

第70回選抜高校野球大会

スコア 対戦校 成績 勝敗
1回戦 6-2 報徳学園 完投 勝利
2回戦 3-0 東福岡 完封 勝利
準々決勝 4-0 郡山 完封 勝利
準決勝 3-2 PL学園 完投 勝利
決勝 3-0 関大一 完封 優勝

 

第80回全国高等学校野球選手権記念大会

スコア 対戦校 成績 勝敗
1回戦 6-1 柳ヶ浦 完投 勝利
2回戦 6-0 鹿児島実業 完封 勝利
3回戦 5-0 星稜 完封 勝利
準々決勝 9-7 PL学園 完投 勝利
準決勝 7-6 明徳義塾 1回 勝利
決勝 3-0 京都成章 完封 優勝

 

松坂の甲子園での成績

投手成績 11勝0敗、完封6、防御率0.78、奪三振97

まとめ!

松坂大輔の活躍まとめ!
  • プロ野球の投手タイトルを総なめ
  • 松坂を覚醒させたのは1つの敗戦から
  • 伝説として語り継がれるPL学園・明徳義塾・京都成章戦

選手の健康を最優先に考えた球数制限が議論され、延長戦も13回からはタイブレークが導入されるようになった現代の高校野球。

今後は松坂選手のように肩やひじを酷使するような投手は2度と表れないかも知れませんね。現代高校野球において、これからの球児たちがどんなドラマを見せてくれるのか期待したいところです。

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