日本球界のチームと同じように、メジャーリーグのチームも、そのチームで活躍した選手の背番号を永久欠番に指定することがあります。
例えば、菊池雄星の所属するシアトル・マリナーズは、18年間マリナーズでプレーした指名打者のエドガー・マルティネス(背番号11)や、本塁打王に4回輝いたケン・グリフィー・ジュニア(背番号24)の背番号が永久欠番に指定されています。
しかし、それらの永久欠番とは別に、背番号42は全球団の永久欠番となっています。
この背番号42とは、初のアフリカ系アメリカ人メジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンの背番号です。
今回の記事では、そのジャッキー・ロビンソンについて解説します。
ジャッキー・ロビンソンがデビューする前のメジャーリーグ
引用:wikipediaより
ジャッキー・ロビンソンが初のアフリカ系アメリカ人メジャーリーガーとしてデビューしたのは、1947年のことです。
当時のアメリカでは有色人種の隔離が厳しく、メジャーリーグも有色人種を排除する方針が確立されていました。
そのため、アフリカ系アメリカ人の野球選手は、メジャーリーグではなく、アフリカ系アメリカ人が中心のニグロリーグ(Negro Baseball League)でプレーしていました。
ジャッキー・ロビンソンも、メジャーリーグでプレーする以前はニグロリーグのチームであるカンザスシティ・モナークスにてプレーしており、打率.345(資料によっては.387)を記録し、ニグロリーグのオールスターに選出されるなど、活躍していました。
ブルックリン・ドジャースへの入団
一方で、当時の有色人種が排除されていたメジャーリーグにおいても、人種差別の撤廃に積極的な人物もいました。
その人物とは、ブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)の会長を務めていたブランチ・リッキーです。
ブランチ・リッキーは、本拠地のブルックリンには多くの黒人が住んでいることや、ニグロリーグには多くの優秀な選手がいることに注目していただけでなく、過去に指導していたアフリカ系アメリカ人の選手が人種差別に苦しむのを目の当たりにしていたことから、人種差別の撤廃に積極的でした。
そこで、ブランチ・リッキーは、アフリカ系アメリカ人を受け入れるためのマイナーリーグを創設し、多くのアフリカ系アメリカ人選手を入団させました。
このとき、ジャッキー・ロビンソンはドジャースの傘下であるモントリオール・ロイヤルズに入団し、1945~1946年の2年間プレーしました。
入団するにあたり、ブランチ・リッキーはジャッキー・ロビンソンに「やり返さないだけのガッツを持ってほしい」と求めました。
これは、ジャッキー・ロビンソンにまつわる有名な逸話となっています。
ジャッキー・ロビンソンの活躍
マイナーリーグで活躍したジャッキー・ロビンソンは、1947年の開幕戦にて、ついにメジャーリーグデビューを果たします。
当初、他のチームはジャッキー・ロビンソンのデビューに反対しており、ドジャースとの対戦拒否を宣言するチームもいました。
また、ドジャースにもジャッキー・ロビンソンとのプレーを拒否する選手もいました。
しかし、ジャッキー・ロビンソンがレギュラーの一塁手として活躍しただけでなく、常に紳士的に振舞ったことから、ドジャースの選手は徐々にジャッキー・ロビンソンを受け入れるようになりました。
特に、監督のレオ・ドローチャーやキャプテンのピー・ウィー・リースは、ジャッキー・ロビンソンの受容に一役買ったとされています。
最終的に、ジャッキー・ロビンソンは打率.297、12本塁打、29盗塁を記録し、新人王に輝きました。
これにより、ジャッキー・ロビンソンは報道陣にも受け入れられるようになり、9月23日には「ジャッキー・ロビンソン・デー」が本拠地にて開催されました。
その後
新人王を獲得したジャッキー・ロビンソンはさらに活躍を続け、1949年には首位打者と盗塁王に輝き、MVPを受賞しました。
また、ジャッキー・ロビンソンのデビューをきっかけに、アフリカ系アメリカ人が多くメジャーリーグデビューを果たすようになりました。
特に、ドジャースは、アフリカ系アメリカ人であるロイ・キャンパネラ(MVP3回)やドン・ニューカム(1956年にMVPとサイ・ヤング賞を受賞)の活躍により、1955年にワールドチャンピオンに輝きました。
ジャッキー・ロビンソンは、ワールドチャンピオンに輝いた翌年の1956年までプレーして引退をします。
引退後も高い評価を受け続け、1962年には野球殿堂に入りを果たしました。
しかし、引退後や糖尿病や関節炎などの体調不良に悩まされ、1972年に53歳で亡くなってしまいます。
それでも、ジャッキー・ロビンソンの評価は高く、1987年には、メジャーリーグの新人王に「ジャッキー・ロビンソン賞」という別名がつけられました。
そして、1997年には、ジャッキー・ロビンソンの背番号42が、全球団の永久欠番に指定されました。
さらに、2004年には、ジャッキー・ロビンソンのデビューした4月15日が「ジャッキー・ロビンソン・デー」に指定されました。
現在、この日に開催される試合では、メジャーリーグの全選手が背番号42をつけてプレーします。
ジャッキー・ロビンソンの映画
2013年に、ジャッキー・ロビンソンの伝記映画である「42 ~世界を変えた男~」が公開されました。
この映画では、ジャッキー・ロビンソンの経歴だけでなく、ジャッキー・ロビンソンがメジャーリーガーとして認められていく過程が描かれており、おすすめの作品です。
まとめ
- ジャッキー・ロビンソンはアフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーであり、背番号42は全球団の永久欠番に指定されている。
- ジャッキー・ロビンソンは1947年にブルックリン・ドジャースでデビューを果たし、新人王に輝いた。
- ジャッキー・ロビンソンのデビューをきっかけに、多くのアフリカ系アメリカ人がメジャーリーグでプレーするようになった。
- 映画「42 ~世界を変えた男~」で、ジャッキー・ロビンソンの経歴や活躍について知ることができる。