学校法人名古屋電気学園 愛知工業大学名電高等学校という学校をご存じでしょうか。
愛工大名電といえば、多くの方がその名前を聞いたことがあることと思います。
工藤公康や山崎武など数多くのプロ野球選手を輩出した愛知県の高校野球における名門校です。
1989年、この愛工大名電高校に入学してきたのがイチローこと鈴木一朗です。
イチローの高校時代(入学前)
今では日本だけでなく、メジャーでもスーパースターであるイチローも、小学生の頃は、野中徹博(元阪急ブレーブス)と水野雄二(元読売ジャイアンツ)との中京高校(現;中京大中京)対池田高校の試合や、地元愛知県の藤王康晴(元中日ドラゴンズ)の享栄高校の試合などを熱心に見ていた野球少年でした。
イチローは、愛知県西春日井郡豊山町の出身で、中学時代は地元の中学校の野球部に所属。エースで中軸を打ち、中学3年の時に全日本少年軟式野球大会に出場し3位入賞を果たします。イチローは中学まで軟式野球をしていました。
中学の全国大会で3位に入賞したイチローは、多くの高校から声がかかります。
その中から選んだのが愛工大名電でした。
イチローが愛工大名電を選んだ理由
- 監督が型にはめない指導をする
- プロ入りした選手の数が全国随一
- 実家とグランドが近い
- 3年間寮生活をすることで自立心を養い、縦社会の厳しさを学ぶ
イチローとその父親の宣之が熟考を重ねた末の選択でした。
そして、愛工大名電への入学を決めた親子が当時の監督である中村豪にこう話します。
「甲子園が目標ではありません。プロになれる選手に育ててほしい」
その言葉に対し、「任せてください」と返答した中村でしたが、入学当時のイチローは、170cm、55kg(本人談では、171cm、63kg)と名門の愛工大名電では明らかに見劣りする体格だったため、多くの教え子をプロの世界に送り出していた名将も、この時はまだイチローの潜在能力に気づいてはいませんでした。
イチローの高校時代(入学時の練習試合)
現代の中学生が高校の強豪校に進もうと考えた際に選ぶのが、シニアリーグやボーイズリーグなどといった硬式野球のクラブチーム。しかし、イチローの考え方は違うものでした。
「軟式から硬式をやることのメリットを感じていました。ボールが硬いから変形しない。軟式はどうしても変形しますから、難しい。だから硬式球は捉えるのが簡単、という感覚だった。名電はみんなも大きかったですが、打ったら僕の方が飛びましたから」
ヒョロヒョロと痩せ細った体形のイチローに対して中村の姿勢が前のめりになるのは、実際のプレーを見た時でした。
ボールを芯でとらえる感覚がずば抜けていたため入学前の練習試合で起用したところ、鋭い打球をセンター前に運んだかと思うと、そのあとも2本ヒットを打ったのです。
このプレーを見た中村は、2年生捕手の日比野公彦を呼び、「あいつは必ず戦力になる。上級生につぶされないよう、ガード役として守ってやれ」と指示を出すほどでした。
当時は、先輩の言うことに対しては絶対服従、部内暴力も日常茶飯事、練習中の水分補給は厳禁、投手は200球以上の投げ込みをするような時代だったためです。
イチローの高校通算成績
「甲子園が目標ではありません。プロになれる選手に育ててほしい」と言っていたイチローでしたが、その一方で、甲子園を目指す気持ちは、誰よりも強く持っていました。
プロへ行くためには、全国区で活躍することが近道と考えていたためです。
イチローは愛知県を代表する名門高校である愛工大名電で、1年時から三塁手としてレギュラーとなり、2年時には夏の甲子園に左翼手として出場します。
初戦の相手は、南竜次(元日本ハムファイターズ)を擁する天理でした。
初めての甲子園の印象について、「雰囲気はやっぱり嫌でしたね。あんな大舞台は初めて。のまれた感じはありました。フワフワしていましたし地に足がついてないってこういうことかと思いました」と、あのイチローでさえ、甲子園の雰囲気にのまれていたと後に語っています。
3年生になったイチローはエース番号を背負い春の選抜で甲子園に出場します。
初戦の松商学園、上田佳範(元日本ハムファイターズ)の前に無安打で敗退したものの、その年の夏の愛知県大会では素晴らしい成績を残します。
この大会、チームは決勝で東邦高校に敗れ、甲子園出場の夢は絶たれてしまいます。
しかし、イチロー自身は、決勝までの8試合で打率.643の成績を残しただけでなく、3試合連続本塁打、7試合連続複数安打、7試合連続打点という素晴らしい記録を残しました。
【高校通算成績】
打数 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 盗塁 | 打率 |
536 | 269 | 74 | 28 | 19 | 131 | .501 |
イチローの高校時代まとめ!
- 打撃は軟式球の方が難しく、硬式球の方が捉えるのは簡単
- 甲子園が目標ではなく、プロに行くために愛工大名電へ入学
- 3年の地方大会で打率7割以上を記録
プロ野球選手になるために入学した愛工大名電での3年間。
中学時代の学力は、学年で常に10位以内に入るほどのイチローでしたが、高校時代の授業態度はどうだったのでしょうか。
勉強で一番になれないことが分かったから勉強は捨てる。
イチロー選手ならではのお話ですね。
学校の授業はちゃんと受けましょう。