日本球界では、王貞治の記録した55本塁打が、長らくシーズン本塁打記録となっていました。
これは1964年に記録されたもので、ウラディミール・バレンティンが2013年に60本塁打を記録するまで、49年間にわたり破られませんでした。
一方で、メジャーリーグでは、ロジャー・マリスの記録した61本塁打が、長らくシーズン本塁打記録となっていました。
これは1961年に記録されたもので、1998年まで37年間にわたり破られませんでした。
そして、1998年に史上初の70本塁打を記録し、マリスの記録を破ったのは、マーク・マグワイアでした。
マグワイアはメジャーリーグを代表する強打者であり、70本塁打だけでなく、新人として49本塁打、4年連続50本塁打以上など、様々な記録を残しています。
今回の記事では、マグワイアの成績や活躍、薬物問題について解説します。
マーク・マグワイアの活躍
マグワイアは1963年にカリフォルニア州で誕生し、高校時代は野球、ゴルフ、バスケットボールに打ち込んでいました。
特に、野球では投打で活躍し、1981年のドラフトにて、8巡目でモントリオール・エクスポスに指名されています。
しかし、このときは入団せず、南カリフォルニア大学に進学し、野手に専念し始めました。
その結果、さらに頭角を現し、1984年にはロサンゼルスオリンピックのアメリカ代表に選ばれています。
なお、南カリフォルニア大学では、のちにメジャーリーグを代表する投手となる、ランディ・ジョンソンとチームメイトでした。
そして、1984年のドラフトにて、全体10位という高い順位で指名され、オークランド・アスレチックスに入団しました。
入団後、マグワイアはマイナーリーグでも好成績を残し、ドラフトから2年後の1986年にメジャーリーグデビューを果たすと、1987年にはメジャーリーグの開幕ロースター入りを果たしました。
開幕後は4月に4本塁打と、まずまずの成績を残していましたが、5月に突如15本塁打を放ち、注目を浴びます。
さらに、前半戦だけで33本塁打を記録し、新人ながらオールスターに出場しました。
後半戦もその勢いを継続し、8月14日には当時の新人本塁打記録となる39本目を放ちました。
最終的に49本塁打まで記録を伸ばし、新人として本塁打王に輝いただけでなく、新人王を獲得し、MVP投票でも6位に食い込みました。
その後も、1988年には32本塁打と活躍を続け、1989年にはアスレチックスのワールドシリーズ制覇に貢献しました。
当時、アスレチックスにはホセ・カンセコという強打者がおり、マグワイアとカンセコは「バッシュ・ブラザーズ」と呼ばれ、人気を博していました。
しかし、1991年には打率.201、22本塁打という不振に陥り、1993年と1994年には故障により合計で74試合にしか出場することができませんでした。
それでも、1995年には104試合の出場で39本塁打を記録して復活を遂げると、1996年には自己最多となる52本塁打を記録し、本塁打王に輝きました。
1997年は7月31日にトレードでセントルイス・カージナルスに移籍し、年間58本塁打を記録しましたが、アスレチックスとカージナルスはリーグが異なるため、本塁打王を獲得することはできませんでした。
そして、1998年には開幕から驚異的なペースで本塁打を量産し、マリスのシーズン本塁打記録を塗り替えるのではないかと注目が集まりました。
ただ、シカゴ・カブスのサミー・ソーサも本塁打を量産しており、8月31日の時点では55本で並んでいました。
しかし、9月に入るとマグワイアはさらに調子を上げ、9月7日のカブス戦でマリスに並ぶ61本目を記録します。
そして、9月8日のカブス戦で、ついに新記録となる62本目を放ちました。
このとき、本塁打王を争っていたソーサは、カブスの外野を守っており、マグワイアを祝福しています。
マグワイアはこの後も好調を維持し、9月27日のエクスポス戦で70本目を打ちました。
シーズン後には、これらの活躍が認められ、コミッショナー特別表彰を受けています。
マグワイアは1999年も開幕から本塁打を量産し、65本塁打を記録し、2年連続で本塁打王に輝いただけでなく、通算500本塁打を記録しました。
しかし、2000年と2001年には故障に悩み、2001年を最後に引退しました。
引退後のマグワイア
引退した当初、マグワイアのアメリカ野球殿堂入りは確実とされていました。
しかし、2005年にバッシュ・ブラザーズの相方であるカンセコが、自伝『禁断の肉体改造』にて、マグワイアはアナボリックステロイドを使用していたと暴露してしまいます。
その直後、マグワイアはドーピング問題でアメリカの議会に証人喚問され、「過去の自分の行為は現在のスキャンダルとは無関係なのでお答えできません」と発言しました。
この発言により、マグワイアはドーピングを行っていたと確実視されるようになり、2007年から始まった野球殿堂入りへの投票では、10年間で1度も得票率75%に達することができず、投票の対象から外れてしまいました。
回数 | 年 | 得票率(%) |
1 | 2007 | 23.5 |
2 | 2008 | 23.6 |
3 | 2009 | 21.9 |
4 | 2010 | 23.7 |
5 | 2011 | 19.8 |
6 | 2012 | 19.5 |
7 | 2013 | 16.9 |
8 | 2014 | 11.0 |
9 | 2015 | 10.0 |
10 | 2016 | 12.3 |
そして、2010年1月11日、マグワイアはカージナルスの打撃コーチに就任するにあたり、ドーピングの事実を認めました。
ここでは、「愚かな過ちだった。絶対にステロイドに手を出さなければよかったし、心から謝罪する」と発言しています。
しかし、コーチに就任してからは、カージナルスのワールドシリーズ制覇(2011年)に貢献しています。
マグワイアのプレースタイル
マグワイアの最大の特徴は、低めの投球をゴルフのようにすくい上げる打撃です。
また、打撃におけるパワーは凄まじく、特大本塁打を多く放っています。
パワーの源である腕も、非常に逞しくて印象的です。
一方で、守備に関しては、一塁手として1990年にゴールドグラブを受賞しています。
走塁は平凡で、通算で12盗塁となっています。
マグワイアの年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 打率 | OPS |
1986 | OAK | 18 | 10 | 3 | 9 | 4 | .189 | .636 |
1987 | OAK | 151 | 161 | 49 | 118 | 71 | .289 | .988 |
1988 | OAK | 155 | 143 | 32 | 99 | 76 | .260 | .830 |
1989 | OAK | 143 | 113 | 33 | 95 | 83 | .231 | .806 |
1990 | OAK | 156 | 123 | 39 | 108 | 110 | .235 | .859 |
1991 | OAK | 154 | 97 | 22 | 75 | 93 | .201 | .713 |
1992 | OAK | 139 | 125 | 42 | 104 | 90 | .268 | .970 |
1993 | OAK | 27 | 28 | 9 | 24 | 21 | .333 | 1.193 |
1994 | OAK | 47 | 34 | 9 | 25 | 37 | .252 | .887 |
1995 | OAK | 104 | 87 | 39 | 90 | 88 | .274 | 1.126 |
1996 | OAK | 130 | 132 | 52 | 113 | 116 | .312 | 1.197 |
1997 | OAK/STL | 156 | 148 | 58 | 123 | 101 | .274 | 1.039 |
1998 | STL | 155 | 152 | 70 | 147 | 162 | .299 | 1.222 |
1999 | STL | 153 | 145 | 65 | 147 | 133 | .278 | 1.121 |
2000 | STL | 89 | 72 | 32 | 73 | 76 | .305 | 1.229 |
2001 | STL | 97 | 56 | 29 | 64 | 56 | .187 | .808 |
通算 | 16年 | 1874 | 1626 | 583 | 1414 | 1317 | .263 | .982 |
- OAK:オークランド・アスレチックス
- STL:サンフランシスコ・ジャイアンツ
各年度の太字はリーグ最高
マグワイアにまつわるエピソード
① バッシュ・ブラザーズ
アスレチックス時代、バッシュ・ブラザーズの相方だったホセ・カンセコは、マグワイアと同様にメジャーリーグを代表する打者でした。
1988年には42本塁打、1991年には44本塁打を記録し、本塁打王に輝いただけでなく、通算462本塁打を記録しています。
また、走塁も得意で、通算200盗塁を記録し、1988年には史上初の40本塁打、40盗塁を達成しています。
しかし、カンセコはスキャンダルの多さで知られており、薬物問題や銃の不法所持、DVなど、様々なスキャンダルを起こしています。
② 圧倒的な本塁打の量産ペース
マグワイアの通算583本塁打は、メジャーリーグ史上11位となっています。
しかし、1本塁打あたりの打数(AB/HR)は10.6であり、これは史上1位です。
参考までに、メジャーリーグの通算本塁打数トップ11の選手と、AB/HR、ISO(長打率と打率の差で、選手の純粋な長打力を示す)をまとめてみました。
順位 | 選手 | 通算本塁打数 | AB/HR | ISO |
1 | バリー・ボンズ | 762 | 12.9 | .309 |
2 | ハンク・アーロン | 755 | 16.4 | .250 |
3 | ベーブ・ルース | 714 | 11.8 | .348 |
4 | アレックス・ロドリゲス | 696 | 15.2 | .255 |
5 | ウィリー・メイズ | 660 | 16.5 | .256 |
6 | アルバート・プホルス | 656 | 16.3 | .249 |
7 | ケン・グリフィー・ジュニア | 630 | 15.6 | .254 |
8 | ジム・トーミ | 612 | 13.8 | .278 |
9 | サミー・ソーサ | 609 | 14.4 | .261 |
10 | フランク・ロビンソン | 586 | 17.1 | .243 |
11 | マーク・マグワイア | 583 | 10.6 | .325 |
③ 新人本塁打記録の現在
マグワイアが記録した新人本塁打記録(49本)は、2017年にニューヨーク・ヤンキースのアーロン・ジャッジによって塗り替えられました。
ジャッジは最終的に52本まで記録を伸ばしましたが、2019年にはニューヨーク・メッツのピート・アロンソによって更新されました。
現在では、アロンソ53本が新人本塁打記録となっています。
まとめ
- マグワイアは新人本塁打記録(49本)とシーズン本塁打記録(70本)を記録した強打者。
- 通算本塁打は583本で、メジャーリーグ史上11位の記録であり、1本塁打あたりの打数は史上1位。
- 引退後に薬物使用が発覚し、これを認めて謝罪している。