メジャーリーグにおけるアメリカンリーグや、日本球界におけるパシフィックリーグでは、指名打者(DH)制が導入されています。
日本球界を代表するDHといえば、567本塁打を記録した門田博光や、403本塁打を記録した山崎武司が挙げられます。
一方で、メジャーリーグを代表するDHといえば、エドガー・マルティネスやデビッド・オルティーズが挙げられます。
特に、マルティネスは打率を残すことのできる好打者であり、「DHのイメージを変えた」とされています。
今回の記事では、マルティネスの成績や活躍について解説します。
エドガーマルティネスの活躍
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エドガー・マルティネスがシアトル・マリナーズに入団したのは1982年のことであり、当時は三塁手でした。
マイナーリーグでは順調に成長し、1987年にメジャーリーグデビューを果たしますが、安定して成績を残すことができず、なかなかレギュラーに定着することができませんでした。
しかし、1989年のオフシーズンに参加したプエルトリコのウィンターリーグで打率.424を記録し、1990年には開幕をメジャーリーグで迎えます。
すると、打率.302、リーグ3位となる出塁率.397を記録し、ついにレギュラーに定着しました。
さらに、1992年には打率.343でマリナーズ史上初となる首位打者に輝き、三塁手としてシルバースラッガー賞を獲得しました。
しかし、1993年からは故障に苦しむようになり、2年間で131試合しか出場することができませんでした。
そこで、マルティネスの打撃を活かしたいマリナーズは、マルティネスをDHとして起用することを決断しますが、これがマルティネスにとって転機になりました。
1995年には打率.356を記録して再び首位打者に輝いただけでなく、リーグ最高となるOPS1.107を記録し、「史上最強のDH」と呼ばれるようになります。
1996年以降も安定して高打率を残し、2000年には自身初の打点王に輝きました。
さらに、2001年には故障者リストに入りながらも好成績を残し、マリナーズの大躍進(レギュラシーズンで116勝46敗)に貢献しました。
ただ、2002年以降はさらに故障が多くなり、通算300本塁打に達成した2004年を最後に引退してしまいました。
マリナーズ一筋で18年間プレーしたことから、引退試合ではファンから盛大なステンディングオベーションを受けました。
最終的に指名打者としてシルバースラッガー賞を4度、最優秀指名打者賞を5度獲得しました。
なお、最優秀指名打者賞の獲得回数は当時最多であり、その功績を称えて最優秀指名打者賞は「エドガー・マルティネス賞」に改称されました。
さらに、2017年にはマルティネスの背番号11がマリナーズの永久欠番となり、2019年にはアメリカ野球殿堂入りを果たしました。
エドガーマルティネスのプレースタイル
エドガー・マルティネスは、広角打法と選球眼を武器としていました。
そのため、高打率を残すことができただけでなく、高い出塁率を残すこともでき、通算の出塁率は.418となっています。
この数字は、通算3000打席以上の打者の中では22位の記録であり、現役の選手でこれを上回っているのはジョーイ・ボット(.421、17位)とマイク・トラウト(.419、21位)だけです。
一方で、故障する以前より守備には課題を抱えており、1990年には三塁手としてリーグ最多となる27失策を記録しています。
また、故障する以前は平均以上の走力を有しており、1992年には14盗塁を記録していますが、故障が増えてからは全力疾走する機会が減ってしまったようです。
エドガーマルティネスの年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 四球 | 打率 | OPS |
1987 | SEA | 13 | 16 | 0 | 5 | 2 | .372 | .994 |
1988 | SEA | 14 | 9 | 0 | 5 | 4 | .281 | .758 |
1989 | SEA | 65 | 41 | 2 | 20 | 17 | .240 | .619 |
1990 | SEA | 144 | 147 | 11 | 49 | 74 | .302 | .830 |
1991 | SEA | 150 | 167 | 14 | 52 | 84 | .307 | .857 |
1992 | SEA | 135 | 181 | 18 | 73 | 54 | .343 | .948 |
1993 | SEA | 42 | 32 | 4 | 13 | 28 | .237 | .744 |
1994 | SEA | 89 | 93 | 13 | 51 | 53 | .285 | .869 |
1995 | SEA | 145 | 182 | 29 | 113 | 116 | .356 | 1.107 |
1996 | SEA | 139 | 163 | 26 | 103 | 123 | .327 | 1.059 |
1997 | SEA | 155 | 179 | 28 | 108 | 119 | .330 | 1.009 |
1998 | SEA | 154 | 179 | 29 | 102 | 106 | .322 | .993 |
1999 | SEA | 142 | 169 | 24 | 86 | 97 | .337 | 1.001 |
2000 | SEA | 153 | 180 | 37 | 145 | 96 | .324 | 1.002 |
2001 | SEA | 132 | 144 | 23 | 116 | 93 | .306 | .966 |
2002 | SEA | 97 | 91 | 15 | 59 | 67 | .277 | .888 |
2003 | SEA | 145 | 146 | 24 | 98 | 92 | .294 | .895 |
2004 | SEA | 141 | 128 | 12 | 63 | 58 | .263 | .727 |
通算 | 18年 | 2055 | 2247 | 309 | 1261 | 1283 | .312 | .933 |
- SEA:シアトル・マリナーズ
- 各年度の太字はリーグ最高
マルティネスにまつわるエピソード
① マルティネスの勝負強さ
広角打法と選球眼だけでなく、勝負強さもマルティネスの武器でした。
1995年のプレーオフ(ディビジョンシリーズ)では、最終戦でニューヨーク・ヤンキースを相手に逆転サヨナラ二塁打を放ちました。
この二塁打は「The Double」として語り継がれています。
② 強打者揃いだったマリナーズ
1996年のマリナーズは、マルティネス以外にも多くの強打者が揃っていました。
下の表は、1996年にマリナーズでプレーした主な打者の成績です。
選手 | ポジション | 本塁打 | 打点 | 打率 | OPS |
ポール・ソレント | 1B | 23 | 93 | .289 | .878 |
アレックス・ロドリゲス | SS | 36 | 123 | .358 | 1.045 |
ケン・グリフィー・ジュニア | CF | 49 | 140 | .303 | 1.020 |
ジェイ・ビューナー | RF | 22 | 138 | .271 | .926 |
エドガー・マルティネス | DH | 26 | 103 | .327 | 1.059 |
結果的に、この年のアメリカンリーグのMVP投票では、ロドリゲスが2位、グリフィーが4位、ビューナーが17位に入りました(受賞したのはテキサス・レンジャーズのフアン・ゴンザレス)。
また、これらの選手は通算成績も素晴らしく、ソレントは166本塁打、ロドリゲスは696本塁打、グリフィーは630本塁打、ビューナーは310本塁打を記録しています。
ただ、1996年のマリナーズは投手力に乏しく、85勝76敗を記録したもののプレーオフに出場することができませんでした。
③ エドガー・マルティネス賞の現在
先ほど触れたように、エドガー・マルティネスが2004年に引退した時点では、最優秀指名打者賞を5回受賞しており、これは当時では最多でした。
しかし、現在では、主にレッドソックスで活躍したデビッド・オルティーズが8回受賞しており、最多となっています。
オルティーズは通算で541本塁打、1768打点を記録しており、これはマルティネスを大きく上回っています。
ただ、マルティネスの功績を称えているからか、賞を「デビッド・オルティーズ賞」に改称するという流れは、今のところ無いようです。
まとめ
- マルティネスはメジャーリーグを代表するDHであり、「史上最強のDH」と呼ばれていた。
- マルティネスは最優秀指名打者賞を5回受賞し、この賞は現在、「エドガー・マルティネス賞」に改称されている。
- マルティネスの武器は広角打法と選球眼であり、通算出塁率.418はメジャーリーグ史上22位にあたる記録。